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酷い黄砂の日だった。ぼんやりとした空も空気も、仮の暮らしだと思っていた。
今年、ここで六度目の春を迎えている。相変わらずぼんやりとした、嫌な季節だ。明日は、どっちだ。
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岡山へ戻ってきてから最初の春。
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ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを
カート・ヴォネガット 著 浅倉 久志 訳 | 小説 1965年
ハヤカワ文庫
Feb. 23. – Apr. 11. 2011 読了
『こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積っても、せいぜい百年ぐらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい——
なんてったって、親切でなきゃいけないよ』
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今更のことながら日本では先日来大きな天災と人災とに見舞われ、それをセーフティーゾーンから日々眺めていれば、私のような小者ですら「何かできることはないか」と良心が動かされるものです。(まあ、良心だけ動いても仕方ないんだが)
エリオット・ローズウォーターは相続による莫大な資産と、それ以上に莫大と言える良心を保有している。その良心に基づいて——或いは良心ですらない自然の振る舞いなのかも知れない、彼はアメリカという繁栄から置き去りにされたような、何の役にも立たないような人々へ無償の愛を注ぐ。彼らの話に耳を傾け、必要とあれば資産を分け与える。
"何の役にも立たない"とは随分な書き方をしてしまっているが、究極的には誰もが何の役にも立たず、それでいて後から後から生まれてくる。14章でキルゴア・トラウトが投げかける問題は、重い。「——もしわれわれが、人間を人間だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです。」
また別の章より。こちらも衝撃的なやりとりだったが、最後だけ。「いったいぜんたい、人間はなんのためにいるんだろう?」
なんのためにいるんでしょうね? こうしたことを考えたことが誰にでも幾度かあるのではないかと思います。日本がいけないのか現代社会がいけないのかそれは判りませんが、いつの間にか生きることに理由が要る世界になってしまっていたようです。
著者のヴォネガットは第二次大戦中に捕虜として滞在したドレスデンで無差別爆撃に遭遇し、何万もの人間が理不尽に殺されるのを見てきた人です。生きる理由の逆、彼らがそこで他人から強制的に人生を停止させられる理由は何かあったのか。以下は理屈。ナチスの暴虐を阻止するため、戦争の終結を早めるため、云々。それに対するドレスデン爆撃の被害者、ビリー・ピルグリムの回答。「いいんです。何であろうといいんです。人間はみんな自分のすることをしなければならないのですから。わたしはトラルファマドール星でそれを学びました」
(同著作「スローターハウス5」より)
さて、現代日本に話を戻すとするなら、現在進行形の問題は上記のような先人の経験則から何も学んでいないと言わざるを得ない。ヴォネガットに限らず様々な人が様々な表現方法で、何十年も何百年も前からこうした経験を解りやすく残してくれているというのに。
合理的なシステムや経済は多くの人生を救うだろう。そうした大義の下に、ごく僅かながらという言い訳の下に、犠牲になっている人々が居るということが今、可視化されているじゃないの。見てるか?
どこかで目にした名言をみっつ引用して〆る。
誰の役に立つのかわからない施設をつくるくらいなら、誰の役にたつのかわからないオッサンを助ければいいのに…
安全ちゃん
人は何かひとつくらい誇れるものを持っている
ビートたけし
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら運動がある、両方駄目だったら君には優しさがある
夢をもて目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな
何もなくていいんだ、人は生まれて生きて死ぬ
これだけでたいしたもんだ!
騙されるな
赤の他人にランドセル1個を貰っただけでその赤の他人から「いい大人になってください」などと言われる筋合いなど一つも君にはないよ。
秋山 勝彦
勝手に生きろ!!!
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創造とゴミ
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white copy papers* | ono keiji
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blue, blue age
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ホンダと、マクラーレンと、セナの組み合わせで、最強(こう形容するしかなかった)だった頃の機体。
長い髪の女を連れた男がこの機体の前でセナや F1 の蘊蓄を懸命に語っていたのを今も憶えている。彼女がとても退屈そうに相づちを打っていたのも憶えている。
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blue, blue age
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blue, blue age
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巨大な立体凧はもてぎの青空に舞った。
たしか、こどもの日だった。引率の教授は子供みたいな無邪気なじいさんだった。
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P子に見送られて横浜駅から高速バスに乗った。東京駅の丸の内中央口前に着いたのはほんの15時間前のことだった。翌日は朝から出勤しなくてはならなかった。詰まらない理由だと思う。
翌朝 8時、岡山駅に着いた。朝の光線は痛かった。ドトールで少し眠った。鉄道で出勤してきた人々に紛れて駅のトイレでぼさぼさの頭を整髪し、ネクタイを締め直した。その際、首の痣を見た。10時に出勤し、いつも通り19時まで仕事をした。「背広を着ているとそれらしく見えますね」と言われた。
どうやって帰宅したかは憶えていない。いつも通り歩いたかも知れないしバスに乗ったかも知れない。寒い晩だった。
アパートの部屋の前で、横浜で鞄に仕舞ったチャイカを再び取り出した。東京行きのバスに乗るために部屋を出てから 46時間ほど。何も変わっていなくて嘘のようだった。
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