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ある日私は大変に美しい海苔に出会い心を奪われた。あなたに少しでも近づきたい。私はその姿を絵画として永遠に固定しようと試みたのだ。
どうだろう。美しい。だが、やはり実物には遠く及ばないのだね。
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あゝ、荒野
寺山 修司 著 | 小説 1966年
角川文庫
Apr. 12. – Jul. 9. 2011 読了
「この世の他の場所」なんてある筈がないのだ。いくら脱出しようとしても、それは無駄なことなのだ。
著者本人があとがきで記しているように、モダン・ジャズの即興的手法——性格付けされた人物の箱庭の中での振舞いを観察するかのような手法で描かれたという群像劇。様々な引用(有名人の歌や詩はもちろん、「高3コース」に投稿された素人の詩まで引かれている)で補強された物語はまるで、或る時代のドキュメンタリーのようだった。
私はその時代を知らない。感じることはできても体験は存在しないので、幻想としてしか捉えることができない。当時と今、時代は変わったのだろうが歪みが正されることはない。正そうとするのが社会だが、きれいに伸したようでいて別のところに皺が寄っており、それは思わぬ形で現出する。そういう意味では何も変わっていないし、ずっと変わらないだろう。アイロン掛けに情熱を燃やすやつらはいい加減に気付くといい。地面が球面だということに。
寺山修司の影響下にある作品にはいくつも触れているように思うが、寺山修司本人の作品に直接触れたのは初めてだ。演劇も映画も詩も、お恥ずかしながら知らない。
ただし冒頭の "マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや" という歌は、ずっと前から諳んじていた。だから、買ってきた。思った通り、私はこんな感じが好きだ。
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blue, blue age
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その昔、私の一家は横浜の小机というところに暮らしていたそうだ。熱海旅行から引き上げる途中で立ち寄ったその町に、暮らしていた社宅はもうなかった。横浜時代の記憶がない私は、その昔の住まいを訪れれば何らかの景色を思い出すかも知れないと思っていた。父、母、兄について歩いたが、私にはどう見ても初めて訪れる町としか思えなかった。
父は藤沢へ、母は岡山へ、兄は東京へ、私は相模原へ、一家は再び小机で離散した。その十年後、平成二十三年の今日、いろいろあって今は全員岡山の同じ敷地内にいる。
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blue, blue age
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blue, blue age
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blue, blue age
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我が家は特殊かつ不幸な事情などとは無縁のごく一般的な核家族ではあったが、高校を出た兄が上京して以降は、父の単身赴任、そして平成十二年には私も上京したことで一家離散となった(しかも私は正月に帰省しなかったのでなおさらである)。
この夏、熱海で家族旅行というイベントが催され、いつ以来だったか知れないが一家四人が一堂に会したのだった。
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組み込まれている珈琲セット
どちらとも云えない娯楽書物
作業との "ながら" 向き
実現物冷蔵庫
靴……
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せかいの まんなかにたつ とうは
らくえんに つうじている という
はるかな らくえんを ゆめみて
おおくの ものたちが
このとうの ひみつに いどんでいった
だが かれらの うんめいを
しるものはない
そして いま またひとり…
魔界塔士 Sa・Ga プロローグ
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Photoguraph | http://photoguraph.com/
大学の同期生であり今は亡き弥生荘でも一緒だった小倉さんの新設サイトです。私と違って本物の純粋グラフ畑の御方でごぜえますだ。
最後に会ったのは 2006年 2月に渋谷のギャラリーで個展開いてたときかな。おれは仕事も無くてアパートも取り壊しになるわで東京を出る直前だったけど、「どーにかなる」みたいな意味のことを話してくれたように記憶している。そんな飄々とした雰囲気の御人。
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