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山中湖畔にある大学の宿泊施設への途上。その旅は、巨大電産企業を巻き込んだ悲劇への第一歩であった。
これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない。
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VOTE!
ところで、選挙だねえ。
こう見えておれはひねくれていないふつうの善良な大人なんで、国政地方政に関わらず投票を棄権したことはほとんどない。白票もない。その時々でとりあえず何かを選んで票を入れてきた。
しかし毎度の投票率を見るたびにその低さが気になる。特に若い人の投票率は酷い。知人の中にも選挙には全く行かないという人はいる。話を聞くと政治がわからない(関心がない)とか、良い候補がいないとか、どうせ意味がないとか、革命が……とか、暑いし寒いしメンドクセーとか、そんなところのようだ。
そりゃ、良い候補なんているはずがない。投票に行かない若者=得票につながらない層に対して、政治家はアピールする政策を打つ必要を感じないだろうから。
そもそも良い候補というのが難しい。政党の利害や多数派工作などが常にまとわりつくのだから、自分の考えと完全に合致する候補などまず現れないだろうし、現れたとしてその政策の完全な実現なんてのはそれこそ難しいだろう。
その点をもって政治に期待できない(だから投票に行かない)と言うのは、政治に理想を求めすぎだと思う。多数のおっさんおばはんがガヤガヤ討議して半数以上の同意を確保しないと進まないシステム、つまり少なくとも半数は納得できる良案ができるまで考えるシステムなのだから、地味でどんくさくて濁りきっているのは当然だと思う。
そうした中で自分の意にそぐわない合意が成されることはいくらでもあるに違いないが、いかにしてそこに自分の意に近いものをねじ込ませるか、あるいは理性的で論理的な批判を浴びせられるか、それだけだろう。そうやって地味にこつこつ進んだり後退したりするのが議会制民主主義だと思う。上の人間が変わればすべてが劇的に良くなるなどと思うのは夢を見過ぎ。それができると妄信して偏った支持を与えつづけた結果がナチスでありヒトラー(※1)でありルドルフ・ゴールデンバウム(笑※2)であるのだと思う。
そんなだから大きな期待はせず、今より少しマシになればいいなというくらいで投票すればいいと思う。特に若い人は投票に行って、投票率の数字になって欲しいものです。政治家から無視されないように。
こうやって書いてもわからないやつは、思想犯にされたり徴兵されたり戦争で家を焼かれたり大好きなアニメを規制されるその日まで幸せに暮らせばいいと思うが、その無関心のとばっちりをくうのは、おれはいやだな。だから、わかってくださいよ。ふたつでじゅうぶんですよ!
第46回衆議院議員選挙は12月16日投票。
えらぼーと
衆院選立候補者に対して行ったアンケートと同じ質問に回答することで、どの政党が自分の考えに近いかがわかるサイト。各候補者がどこまで正直に回答したかは知りようもないが、政党が乱立する中で投票の参考にはなると思う。
※1)ナチスも最初は民主的な選挙で議会に勢力を築いた。暴力的な手段で権力を奪ったのではなく、当時のドイツ国民が支持したことで合法的に権力を獲得した。
現在の日本では政治家や議会がだらしないというのをよく聞くが、そいつらを当選させたのは自分たち(投票しようがしまいが)なのだということを棚に上げていないだろうか。政治のアホさは、有権者のアホさのエッセンスだと思う。
※2)田中芳樹の小説「銀河英雄伝説」に登場する架空歴史上の独裁者。彼もヒトラー同様に民主的なプロセスで独裁を確立し、反対分子を億人単位で処刑するなどやりたい放題やった。昔の人が政治を蔑ろにした(ルドルフに権力を与えた)所為で宇宙全体の民衆が五百年も悲惨なメに遭ったよ〜というお話。
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Balance in Design
キンバリー・イーラム 著 | 専門書 2005年
BNN新社
Oct. 26 – Dec. 4, 2012 読了
基準線は詩的な、あるいは叙情的なアイデアをもたらしたりはしない。それらは作品のテーマを示唆することはない。またそれらは創造的でもない。基準線は単にバランスをもたらすにすぎない。純然たる立体感の問題である。
黄金比を主題材とした構図やバランスについての参考書。黄金比とは何ぞやというあたりから丁寧に書いてあり、様々な自然物のプロポーションに潜む黄金比やフィボナッチ数列などを実例図解を用いて解説してくれる。
黄金比というもの自体は知っているつもりだったが、こんなところやあんなところまでアレしてアレかと関心させられる。またそれが自然の神秘、不思議ですねということではなく、数学的にアプローチすることもできるというあたりもまたおもしろい。ウチのアパートにはよく一神教の使途が訪ねてきて創造者のお話を説いて行かれるのだが、確かにこのような一致を目の当たりにすれば、絶対的な設計者の存在に思い至るのも変なことではないとは思う。
基礎を押さえたあと、後半では過去の名作を実例に、それぞれを黄金比あるいは白銀比などを用いて分解し、解析している。こちらは人工の産物ではあるが、やはりこんなところやあんなところまでアレしてアレかと関心させられる。
それにしても、そうした構成を上手く用いていればいるほど、手堅さと同時に硬さも感じる。構成主義が流行った時代のものが多いので余計にそう感じるのだと思うが、構図とはこればかりなのだろうかと。
それに対する解答のように、本書の最後に上記のコルビュジェの言葉が引かれている。黄金比などは、アイデアを条件の範囲で上手くまとめる手段(あるいは上手くまとまった際の結果)に過ぎないのだと。
我々にも仕事があるということだ。
Balance in Design
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