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アパートの前の東西に伸びる道路は、端から端まで、傾きかけた日に染められた。家々の東壁面は、逆光に切り取られた。私は眩しくて、目を細めた。
側溝の水を柄杓にすくっていると、後ろから声を掛けられた。顔を上げると、中年の男が自転車を停めて立っていた。見憶えがあった。聖書の教えを広めているというおっさんだ。以前に一度、アパートの部屋を尋ねて来て玄関先で話をした。宗教の事を除けば話のできる人だった。こんにちは、暑いですね……
今は何をしていらしたのですかと訊ねられた。堂々と人に話すことでもないような気がして少し言い淀んだが、苔に、水を遣っているんですと答えた。「いやあ、そんな人を見たのは初めてですよ。そういうところに目が向くというのは、何かいいですね……」 日焼けした顔が邪気なく笑った。
おっさんが自転車で去っていったあと、コーラでも買おうと、水遣りを済ませて近所の販売機まで歩いた。夕暮れの空を背に、大学の官舎の給水塔が胸を張って林立していた。
あー、久しぶりに、カラー写真でも、撮っちゃおうか、でも、部屋に戻って、フィルム込めてたら、だいぶ暗く、なっちゃいそうだな、また、明日で、いいか。
それでも私はしばらく、アパートの階段から西の空を眺めていた。部屋に戻って、やはりフィルムを込めた。今日の空は、今日だけ。
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100円の入場券を購入して新幹線のホームに上がってみた。
東京に行けたらと思っていたときがあった。もう手遅れだった。
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日付はとうに変わっていたが眠りに誘われる気配もなく、コンピューターのキーを叩いていた。何故だろう、ふと思い出して、県の陸上競技協会のサイトを開いた。そこには、私の高校時代の競技の記録が残っている。
走り高跳びの頁には、最終順位に従って名前が並び、試技の成否が◯と×とで示されている。ルールを知らない人が見れば何のことだか解らないかも知れないが、私はそれを見ると、あの自身の身長よりも高いバーに向かって立つときの戦慄が今でも僅かに呼び起こされる。助走を始める前の、自分独りが支配する競技場の端の僅かな空間と時間と。
同学年の五人ほど、同じようなベストレコードを持ち、県の大会ではいつもその面子で上位を競った。みんな今はどうなっているだろう。誰をとっても想像の手がかりもない。
それはいい。昔の日の、一瞬の交差だ。だが仮に再び縁があったとして、私は彼らに説明し得る何者かになっているだろうか。
まったく、まったく。今日は暑いくらいによく晴れていた。
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午後、Q嬢から電話がかかってきた。硝子器の水気を拭いていた私は、布巾を片手にもしもしと出て、元気?と尋ねた。まあまあ、とかなんとか。おれは元気だよ。云々
彼女が喋り始めたことによると、パソコンに入れたディスクを取り出せなくなったという。話を聞く限りでは機械的な不具合のようだと思ったので、コンピューターを止めておとなしく修理に出したらどうかと言った。何か歯切れの悪い彼女が重ねて喋り始めたことによると、取り出せなくなったディスクとは、お父さんが隠し持っていたえっちなDVDなのだという。
思春期を修了した男子なればこそ、彼女の窮状は即ち理解できたが、同時にその中学生の犯すような失敗が可笑しくて笑った。ばかばかしくて、久しぶりに心底笑った。雨上がりのようだった。
夕方まで連絡をとりながらいろいろ試したが、結局ディスクは取り出せなかったらしい。中に残したまま修理に出すとのこと。最初はえへへと笑っていた彼女もイライラと徒労感からしょんぼりとしていた。
まあいいじゃないか。そんなの恥ずかしくないよ。恥ずかしいってのはもっと、そう、人として恥ずかしいってやつだけだ。
夜、おやすみ、とメールが届いたので、“明日かいつか、なんとかなるさ” と返した。
なんとかなるさ。
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街はたくさんの人出だった。街に出るのは最後に仕事に行ったとき以来だから、ほぼ二週間ぶりになる。日中の街は、それ以上に久しぶりだった。
日差しが強かった。私は朝からぼんやりとしていて、たくさんの人々がいずれも動く人の形のようだった。動く人の形にぶつからないように歩きながら、それを含めた視界の景色を頭の中で四角に切り取り、いい画、などと考えていた。また並行して、全く別のつらい思考で余白を埋めていた。そうすると、街の景色さえも色のついた紙のように平らだった。それでも私は、動く人の形を器用に避けて歩いた。
どうしようもなくつらいのではない。どうしようもないことがつらいのだ。
要るものを買い終えた私は景色を切り取りながら歩き、夕日の逆光に沈む駅前の広場にさしかかった。広場は丸い噴水と携帯電話と、若人の集まりで構成されていた。装置を持つ者同士が、電波を用いて引き寄せ合うのだ。
私をたぐり寄せる電波はなかった。西の空を眺めながら線路沿いを歩いていると、駅の待避線に停まっていた“糸崎行き”が視界を塞いだ。私は糸崎が何処なのか、西か東かも知らない。だが、いつか“糸崎行き”に乗って、終点の糸崎まで行きたいと思った。
行きに比べて帰りは、向かいからやってくる動体が多かった。皆電波に引かれて、駅に向かったのだろう。
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取りかかっていた制作を仕上げたが、それは既に昨日のうちに失敗作となっており、なげやりな気分が端々の精度不足に見て取られた。資源の無駄だったかも知れない。道具をのろのろと片付けた。傾きかけの日が射す黄色い部屋はからっぽのように思われ、しばらく壁を見ながら立っていた、ような気がする。
棚の上のカメラが目について、久しぶりに手に取ってみた。写真撮りてえなあ。フィルムがなかった。ハーフのカメラを横構図で構えて、筒抜けのファインダーから見たものも、壁だった。シャッターを切った。1/250 秒。
部屋が隣家の影に入った頃、マッキントッシュに向かってつまらない作業をしていた私が聴いていたのは、「GOOD TIME MUSIC」というタイトルをつけた、だいぶ以前に自分で編集した MD だった。最後のトラック、斉藤哲夫の歌「グッド・タイム・ミュージック」が、夕暮れの部屋を染めた。
グッド・タイムが、あったなあ。あったよ、あったんだ。
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野火
監督 : 塚本 晋也 | 映画 2015年
シネマ・クレール
Sep. 10, 2015 鑑賞
「燃える、燃える」と彼はいった。「早い、実に早く沈むなあ。地球が廻ってるんだよ。だから太陽が沈むんだよ」
原作より
いつだったか実家のテレビで途中から観始めたモノクロ映画を、後から番組表でタイトルを確認したのが1959年の映画「野火」だった。その後、大岡昇平の原作も読んだ。2015年に再び映画化されたものが公開されたので、劇場まで観に行った。
悲惨は想定していたものの、それに増して酷かった。
それは、映画が酷かったのではない。原作が酷いのでもない。あの頃に、あの場所で、実際に起こったことが、本当に酷かったのだろう。
フィリピンの密林、空や海などの自然が、異様な彩度で描写されている。例えば旅先で初めて目にした絶景というものが実際よりもすばらしく感じられるような、そんな鮮やかさに見えた。
そしてその鮮やかさの中で、損壊した人体がまき散らす血液もまた、異様な輝きで心を傷つける。
“なぜ大地を血で汚すのか”。日本の戦争が終わって70年の2015年、映画版のキャッチコピーだ。
原作からの改変点は、キリスト関連のオミットと、途中で出会う小隊長と丘の上の狂人を同一人物にしたこと。
この小隊長の役者さんが印象的だった。専業俳優ではなくブランキージェット市の人らしいけど、凄みが。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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セキネさんは、2005年に僕が東京で2週間だけサラリーマンをやっていたときの同僚で、ある日社長から一緒に呼び出されて「(要約)キミらやっぱり要らんわ」と言われて一緒に辞めて以来の友人だ。
初めての勤め先を2週間で放り出されてしばらく寝込んだ僕と違い、怒髪天で飛び出したセキネさんはすぐに次の勤め先を見つけ、僕が岡山に戻った後は年に一度もあるかないか程度のコンタクトの度に仕事が変わっており、それも少しずつスキルを積み増して活躍の幅を拡げている様子だった。昨年暮れに届いたメールに起業するとか書いてあったのは当然の流れとして驚きもなかったが、本題が仕事の依頼だったのは驚いた。
セキネさんの仕事を見せてもらうたびに、「すごい人になったねえ」と僕は感心するばかり。東京の一流どころで立ち回るなかで、僕などとは格のちがうデザイナーの知り合いも居ただろうに。
しかし頼まれたからにはやるし、あえて僕を指名してくれたセキネさんをがっかりさせないようにやるのだと決めて、手加減なしの見積りを提出した。
今年の年明けから半年くらいかけて、ブランドロゴや名刺などを仕上げてきた。秋予定の本オープンに向けて、ひとまずあと少しというところ。
それにしても、若い日に2週間一緒に雑用をしただけの関係が、10年以上も経ってからそれぞれの積み重ねの上で実を結ぶという愉快なことがあって、本当におもしろい。
↵ SKETCH | www.sketch-irotogomi.com
セキネさん設立の、アップサイクルによるものづくりブランド。
SNSでも活動などを発信中。
↵ Instagram @ Shogo Sekine
↵ Facebook @ SKETCH
←オノ vs セキネさん→
2014年文化の日
岡山を訪問したセキネさんと岡山城下体感型アートイベントにて卓球対決
(撮影は係員のおねえさんによる)
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弥生荘に帰って、たぶん寝てしまったのだと思う。10月23日、終了。
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暮らしていた橋本のアパートの近所にカレー屋があった。公営団地の1階に構えた小さなお店で、洒落た内装の本格スパイシーで、少し学生には高かったものの、アパートの人たちとたびたび食べに行った。
当時はまだ開店数ヶ月の新しいお店で、記録によると、10月20日の昼間に若い人たちが数人でシャッターに絵を描いているのを目撃し、風呂上がりに思い出して見に行ってみると仕上がっていたらしい。後から聞いた噂では、多摩美大の学生たちの作だという。
このおねえさんには、閉店後しか会えない。今もお元気だろうか。
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小学生たちが登校を始めたので、朦朧とした21歳はおとなしく帰ることにした。
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ここに写ったたくさんの鶏が一羽残らずもうこの世にいないであろう事を思う。
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早起きではなかった。夜通し眠らずに迎えた濁った朝だった。前日の雨が少し残ったような曇り空で、それをどう思ったのかは忘れたが、デジタルカメラを持って散歩に出かけた。
アパートの前を流れていた境川(東京都と神奈川県の境)の川沿いを、なにをする必要もなく、なにもできない僕は、なにをするでもなくよく歩いた。
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「B'zの稲葉さん」といったらあのB'zの稲葉さんのことで、僕でも知っている。
そのB'zが全国ツアーの旅程で稲葉さんの地元の岡山県津山に凱旋するということで、某大手新聞の地元欄では稲葉さんご本人はもちろん昔の同級生の方なども引っぱり出してインタビュー記事を掲載していた。
遅い朝食をもぐもぐしながら、地方欄に場違いな全国区スターの昔話などを読んでいると、K君のことを思い出した。
K君は高校時代の陸上競技部の後輩で、脚は速かったが、スポーツマンらしい快活さはなかった(僕もだが)。いつもニヤニヤするばかりであまり喋らず、喋ってもモソモソでよくわからず、しかし聴き取ってみると鋭い毒を吐いていたりしたので、たぶんおもしろいやつなのだろうと思っていた。
いつかの遠征試合へ向かうバスで、互いに交友関係から余る感じでKと隣席になった。長いこと、何の会話もしなかったが、あるときふと目が合って、Kがいつものニヤニヤ顔をしていた。何かと思っていると、Kはカバンから小さな装置を取り出した。それは、イヤホンジャックを2又にするプラグで、そんな物を初めて見たので「なんそれ!」と言うと、Kはそのまま何も言わずニヤニヤ、自分のMDプレイヤーに2又プラグを装着すると、僕のMDプレイヤーから勝手に引き抜いたイヤホンを、その2又の空いている片方に装着した。そうして僕は、遠征先に着くまでKのニヤニヤ選曲B'zマイベストを共有することとなった。
それは僕のほとんど唯一のB'z体験だった。
高校を出て以降、K君とは全く接点がないが、もう10年近く前の飲み会の席で県北の方で不本意な勤労に従事しているとか耳に挟んだ。そういったスパンなのでやはり今どうなっているかは判らないが、もしかすると県北のどこかで7月22日のコンサートを楽しみにしているのかもと思った。
後々思うには、K君は果たして使うアテがあるかも判らない2又プラグを遠征に持ち出し(もしかすると常備していたのか)、機会を伺っていたのであろう。そのあたりがK君の愉快なところだったと思う。
そしてその2又プラグを僕もうっかり購入して持っているのだけど、15年余で一度も使ったことがない! 恋人ちゃんがいたときですら使わなかったのに、こんなものをいつどのように使えばよいのか。
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もう、動画しちゃうほど暑いんだから。
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