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瀬戸内国際芸術祭が今日、開幕したそうだ。岡山と香川とを隔てる瀬戸内海の 7つの島と高松港を舞台に繰り広げられるアートの祭典……
その舞台のひとつ、直島に、私は行ったことがある。
行ったことがある。当時おつきあいをしていた娘を連れて、なんとなく行って、ただぐるぐる歩いて帰ってきた。あのときに一度訪れたきりだ。私にはよく解らない島だった。いや、たぶん島の自然は良かった。
建築家の安藤忠雄氏が瀬戸内国際芸術祭についてこう述べたという。「感性の鈍い人は行ってもしょうがない展覧会。自分の人生が終わっているかどうかがよくわかりますので、是非参加を。」
あの日撮ったのが上の写真だ。そしてあの日、島をさんざん歩き回って、この一度しかシャッターを切らなかった。そしてその一年で、フィルムを二本しか消費しなかった。
鈍いのは、仕方ない。人生が終わってさえいなければ、充分だと思う。
どうにかなる。さあ、祭だ。
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下描きまでしながら(しかも骨格のシミュレートまでしながら)最も簡単なギターケースを誤るの巻。A. P. C. のロゴは好き。服は知らん。
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blue, blue age
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blue, blue age
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春休み、帰省。
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blue, blue age
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地獄の門。それは東京神田のビル街に実際に存在し、現実世界と平面異界とを繋いでいた。
同じく彼の地へと向かう異界戦士たちに囲まれながらビルの隙間に 5、6時間も待っていれば、異界への扉が開く。
午後 6時、水先案内の男が現れると、ビルの隙間に並ぶ男たち(ほぼ 100%が男)も這い出し、先頭から順次異界へと突入する。出足の遅れた後方の者たちは「満席となりました」という呪文の詠唱にのたうち回って苦しみ、向かいの和民でまさに苦杯を舐めるのだった。それを尻目に階段を降りる。
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今でこそ秋葉原を先端としてコスプレ喫茶やメイドカフェなどが至る所に存在しているようだが、2001年当時、東京でもこのような平面サービスを展開していたのはここだけであった。
この居酒屋は本来はチェーン展開のふつうの居酒屋だったが、以前声優さんのマネージャーを勤めていたという店長が、本部に許可をとったのかどうかは判らないが、日曜日限定で、どこからか集めてきたコスチュームプレイヤーたちが給仕などを務めるというサービスを始めてしまったのだ。そう、日曜限定。だから、並ぶ。他の迷惑にならないよう、ビルの隙間に。このために東北から飛行機で来たという剛の者まで居たのだ。
女の子たちは概ね撮影に応じてくれる。誰かが撮影をお願いすると他の席からも戦士たちが集い、撮影会が始まる。レンズを向けるとポーズをとってくれる。記録によると、このあと私はフィルム交換をしているようだ。店内撮影を見越してか、感度 800 のフィルムに……
店内のモニターはすべてアニメのビデオ。BGM はもちろんアニソン。おそらく日曜限定だと思うが、「ザク」というメニューがあった。眉間にNT閃光、同行の N 氏と顔を見合わせる。女の子を呼んで尋ねる。「ザクってなんですか ?」
「あっ、はい、えっとーぉ、お野菜のサラダですぅ。あのぉ、お野菜の歯ごたえが、ザクザクって。」
私と N 氏のザク(MS-06)は撃墜された。
追記 : もしかしたら野菜鍋だったかも知れない。いずれにせよ、ザクザクと。
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蠅の王
ウィリアム・ゴールディング 著 | 小説 1954年
新潮文庫
Jul. 13. – 16. 2010 読了
突然、あることに気づき、愕然とした。この物憂い人生の姿が、今、急に理解できたように思われたのだ。彼は人生のあらゆる行路は、いわば、その場その場限りのものではないのか、われわれの現実の生活の大部分は、自分の足もとを用心することだけに過されているのではないか、と思われた。
中高生の頃に読んでいた望月峯太郎の漫画「ドラゴンヘッド」はこの本から着想を得て描かれたんだなと、読んでいるうちに気づいた。
飛行機事故で無人島に不時着した子供たちは、自分たちで決めたリーダーを中心に協力して島での生活を始めたが、些細な考えの違いから対立が始まる。最初は話し合いによる解決を図っていた彼らも、徐々に対立が深刻化し完全に決裂する。“蛮族”と書かれてはいるが年相応の子供らしさや“言葉”を失っていない少年たち——物語冒頭では故国イギリスに誇りを持って自律的に行動していた彼らが、その先にある“殺・死”を理解しつつ、元の仲間を森に棲む豚のように狩り出す様子はただ不気味で冷えぴたクール。
それは破綻による突然の暴発ではない。彼らの理性が徐々に崩れていく様を 350頁かけて丹念に描写することで、外部要因ではない、人間がもともと内に抱えている獣性に気づかされる。“蛮族”たちが特別に他より悪党であったわけではない。大人や社会から隔離された状況における不安感や恐怖感に晒されるうちに自らの内に持つ獣性に目醒めてしまったのだ。
物語の最後、子供たちのリーダー、しかし狩り出される側であったラーフは、無垢(イノセンス)が失われたことに涙を流す。ラーフもまた、対立の中で獣性を目醒めさせていた。
子供だから、というのでは済まなかったお話。
父と母に捧ぐ
「ああ、分ってるよ。初めはものすごくうまくいってたんだね。『珊瑚島』みたいにね」
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めめめめめめめめめぬめめめめめあめめめめめめめめめめめめめめめめめめ
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位置合わせを確認するために刷った二度の印刷。
手違い、偶発事故、残りかす、そういったものからおもしろそうなものを見出していきたい。
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ここ数日載せていた写真があんまり退屈な気がして、何枚か削った。代わりに、別の退屈な写真を並べていこうと思う。
こんなことは初めてだが、誰にでも何にでもハジメテはありますよね。恥ずかしくないですよね。そうですよね。
嗤いたければ嗤え。お前は暇なんだな。おれも暇だ。
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