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桐島、部活やめるってよ
吉田 大八 監督 | 映画 2012年
Apr. 27, 2013 鑑賞
今年の春頃、おつきあいの各方面から同時多発的にお薦めを受け、観なければきっと村八分だと思って観てみた。
おれにも高校生だった時代があり、自身の思い出と照らし合わせて勝手に納得をしたり嫌な気分になったり、始終胸がチリチリする映画だった。特に女子生徒たちのやりとりはスリリングだった……
高校時代、スクールカースト的なものは存在したように思うが、自分はそれを意識しなくても大丈夫なあたりに棲息していたのだと思う。クラスメイトや部活動の外まで社会を広げようとはしなかったし、干渉も抑圧も感じなかった。
今もよく憶えている話がある。部活動でマネジャーをやっていた同級生の女の子が、部活とは別のグループ(つまりおれの知らない人たち)の仲間と学校の男子について話していたんだそうな。カッコイイのは○○クン、キモイのは●●、とか……
じゃあ、カッコ良くも悪くもないのは?という話題に転じたとき、唐突におれの名前が全く接点のないある女子から挙がったのだそうな。それにはマネジャーの子も「なんであんたその人知っとん?」と思って、「チョ〜ウケタ」んだそうな。
カッコ良くも悪くもない代表に挙がった件について、現場ではギャハハ確かに〜みたいなノリだったそうだが、それを伝え聞いたおれはというと「ああ、カッコ悪くはないんだ」と思って内心喜んだもので。
どういう思春期を送ったか、鑑賞時の年代などによって、この映画の感想はだいぶ変わるだろう。ヒエラルキーの頂点に属し続けている人には解らないところ多いんじゃないかなと思うが、それだって上を見上げてのヒネた想像と思わなくもない。どんな階層にもそれに準じた葛藤はあるものだし、という想像。
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blue, blue age
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片瀬江ノ島から海沿いの道路を東へ、ぷらぷらと歩いた。
その間何を話したのか、それともあまり話さなかったのかさえ憶えていないが、
結局そのまま鎌倉市街まで歩いてしまった。
鎌倉を訪れた際にいつも行っていた喫茶店に案内をして、お茶をした。
やはり何を話したのか憶えていないが、良いひと時だった。
喫茶店を出ると夏の日も落ちて、とくに観光らしいこともせず帰路に就いた。
ルートが分かれる町田で降りて……マクドナルドに入った(笑)
どちらもフィレオフィッシュを注文して、
これがマクドナルドでいちばんいいというような話をしたような気がする。
***
その子が亡くなる半年ほど前、あのとき以来何年かぶりに鎌倉の海へ行っただとかメールがきて、その後しばらくして手紙が届いた。一緒にお茶をした喫茶店の会報誌が同封されていた。書くことがないのに書いたような短い手紙で、“また改めて、ちゃんと書くね”と括られていた。
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懸案の海にでも行ってみようか、ということになり、
どこで待ち合わせよう、ということになり、
「現地で」ということになった。
ひとりで目的地にたどり着く練習とか、そんなことを言ってたけど
今思えばたぶんそれは嘘だったろう。
いずれにせよ目論みは外れ、僕は藤沢駅の乗換えで
同じ列車から出てきた彼女の後ろ姿を見つけた。
終点の片瀬江ノ島までの短い間なら、話すことは充分に足りていた。
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出稼ぎ仕事の休憩時間にいつも通っている喫茶店があります。コーヒーや食べ物が美味しい上に、良い感じの娘が働いていてすばらしいのです。店での呼び名も判らないので仮に看板娘A子ということにしますが、しかし名前など知らなくても一向構わないのです。ブラックで飲むことをいつの間にか憶えていてミルクポットを省いてくれたり、休憩時間目一杯居座る私に「どうぞごゆっくり」と声をかけてくれたり、払いすぎた10円を返してくれたり、そんな心づかいが大変好もしいのです。
今日も、私のテーブルに運んできてくれたホットサンドの付け合わせのサラダのフォークの向きを——何がおかしかったのか私には判りませんでしたが——目の前でちょちょっと整えてくれました。私はそんなA子ちゃんが直してくれたフォークの柄を、後で舐めようと思いましたが、食事を終えて新聞を読みながら寝落ちしている間に食器をきれいに片付けられてしまいました。それだってきっと、寝ている私を起こさないようA子ちゃんが気をつかって片付けたのだと思うと、今日からまだ何年も生きられるように、暇な私の頭は感じるのでした。
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先月、松江に行った。佐伯祐三の絵画展が目的だったが、山陰の遠さを想って二の足を踏んでいるうちに会期末になってしまい、ちょうど仕事のキリも良いことを燃料にしてヱイヤッとバスを予約したのだった。
10時前に松江に到着し、最初に美術館で目的の展示を観たあとは全く何の目処もなかった。カメラを持っていたので宍道湖の周りなどを歩いてみたが、それは大きな湖で、岸には地方都市が延々と茂っていた。道を見失ったり目測を誤ったりして、松江の市街を行ったり来たり歩いた。
くたびれたので、帰岡のバスが出る19時半まで、先達て松江に行った友人に教えてもらったカフェで時間をつぶすことにした。傘が要らないほど、横殴りの小雨が降っていた。ビルの3階にあるカフェからは宍道湖や街が一望できた。曇り空の向こう側に淡い夕焼けを見ながらコーヒーとハンバーガーを食べた。客はおれひとりだけで、マスターはノートPCを弄っていた。雑誌置きにあった地元写真家の作品集などを手に取ってぺらぺらめくってみた。奥付のプロフィールを見て、名前を憶えるでもなく、生年からしてもう故人かな?などと思った。それにも飽きて手帖を開いてみたが、何か新発見があるわけでもなく、線を引いて時間をつぶした。
朝と同様に3時間ほどバスに揺られて帰った。岡山–東京間の深夜高速便と比べれば愉快なほど快適だった。何より、外の景色を観られるのが良かった。
帰宅したアパートは朝に出てきたときのままで、山を越えて島根まで行っていたことが嘘のように感じた。東京まで行って数日で帰ってくるようなときも同じような感覚に陥る。旅行というものの最大の欠点は、帰ってこなければならないことだと思う。
それにしても、知らない土地へ一日出かけて、フィルムを一本つぶすこともできなくなってしまった。
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