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人通りも少ない今日二度目の帰り道を歩きながら、「この道はいつかきた道〜」と歌ったとか歌わなかったとか。今日二度目の外出に出たときも同じ歌が頭をよぎり、ジャスラックが儲かったとか儲からなかったとか。
フィオナ・マクロード嬢のお喫茶呼出しに応じた今日二度目の帰り道、「真面目さ」について考え、横道に逸れ、太宰治に至った。
Aug. 11, Mon.
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リアリティのダンス | La Danza de la Realidad
監督 : アレハンドロ・ホドロフスキー | 映画 2013年
Aug. 4, 2014 鑑賞
強烈だった。
いろいろな意味で凄まじい個々の描写に圧倒されてしまったが、しっかり意識を持っていればもっと深く入って行けたのではないかと思った。というのも、途中から「エル・トポ」を思い出したのだ。同じ監督だし、明らかに意図的に似せているシーンなどもあったが、そういうことではない。
「エル・トポ」の観賞後、時間の経過とともに画面の構図や劇伴の印象だけが強く残り、すばらしく格好良い名作のように自分の中で処理されていたが、あれはそれだけのものではなかった。悪趣味すら感じる、見てはいけないものを見せられたような、ショッキング映像集だった。
そんな作家だったということを、今回の新作でも続々と繰り出されるクレイジーショッキングな描写に晒されながら思い出したのだ。だから、今にして思えば、「エル・トポ」をもう一度観て感度を慣らしてしておけば良かった。
そのように、自分の経験と準備不足のために映像の表面までしか観ることができず残念だった。
個々のショッキング描写も、「映画(娯楽)だしふつうはやらないよね」というのを遠慮なくやったというだけで、現実や歴史、宗教的伝説などをデフォルメして(デフォルメしていないのかも知れない)描写しただけのようにも思う。のうのうと生きているので、やたらと「突きつけられた」感じがするのだろう。
ホドロフスキー自身の自叙伝なのだが、ホドロフスキーご本人が度々登場するのは、そこだけ映画物語からどうしても外れて見えてあまり好きじゃなかった。
感想を書くのが難しかったのだけど、映画館で拾ってきたフライヤーのコピーに“人間讃歌”という文言があり、それは確かにしっくりくる。あれもこれも、結局は全肯定の感謝なのだ。
誰も誘わなくて良かった、とは思いました。笑 観るならひとりが良さそう。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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blue, blue age
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平成14年11月の上旬、大手家電メーカーM社のビルで産学協同制作課題の最終プレゼンテーションをすることになっていた。
この段階に至ってもバタバタと「モノづくり」をしている有様で、僕とKくんは発表時間ぎりぎりまで相模原のアパートに籠ってプレゼン用の映像や資料を切った貼ったとやっていた。仕上げたそれらを抱えて御成門のM社ビルまで行ったはずなのだが、橋本駅から鉄道だったのか、Kくんのボルボで飛ばしたのか、学生2人が受付を通過したやりとりなど、全く記憶がない。プレゼンでは指導教員やM社の上級職陣を前にグループの列に立ったはずなのだが、自分が何か喋ったかどうかすら憶えていない。
質疑応答や講評などももちろん憶えていないが、芳しいものであったはずはない。
自分たちのプレゼンが終わったあと、グループのみんなと何か話しただろうか。それも憶えてはいないが、終わってほっとしたとか、お互いに労い合ったとか、そういうのは無かったように思う。ただ疲労や徒労感が残っていた、そんなところではなかっただろうか。
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ともかく、終わった。そのことは事実として知っている。
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作品の梱包や会場の片付けもだいたい終わった頃、プレゼン会場の裏の準備室の窓から、カーテンをめくってみんな何かを眺めていた。僕も同じように窓の外を見た。
もし写真に撮っていなくても、この景色は今でも忘れずにいられたかも知れない。
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雨の日曜午後にふいの呼出し——と云うより只出勤の有無を問われたので呼出しと諒解し「出勤無し。お喫茶であるか」と返したところ「来たければ来たら」とのことで、これは典型的な反発性分裂の症状であろうと合点し、身支度を整え本町の喫茶店へ出向いた。
小さいながらも賑わう店内で二人席を独りで占拠していた町子は何やら懸命に図画を描いており、汗びしょで現れた僕には一瞥もくれず注文を促した。
町子の話をまとめるとつまり、自分独りで二人席を占拠した上で午後の長居をするのが心苦しいので、僕を召喚することで注文を二人分に加増し罪悪感を半分にするということであった。そのような身勝手に憤慨して立ち去っても良かったが、女の子を泣かすのは得策ではないという二助氏の意見には賛同するものであるからして場に留まった。
町子のそのような心理にはさらに事情があり、なんでも過日、訪れたベイクドチキンバーにおいてささやかな無作法をしでかし放逐されたとのこと。それ以来飲食店を訪れる度にいつ追放の憂き目に遭わぬものか畏れているのだと涙ながらに述べた。典型的な被害妄想性分裂だと思った。そしてその無作法を自身の過ちだと認めながら、同時にベイクドチキンバーの親父を罵った。これまた典型的矛盾性分裂だと思ったので、明日にでも一助氏の病院に連れて行くべきか考えた。
それにしても、大人というものは誰でも飲食店から一度や二度の追放を受けるものである。また、喫茶店で長居をしたくなる心理は、人類の遠い祖先であるところの蘚苔類から受け継いだ、その場を動きたくないという性情によるものであるから仕方のないことである。
窓の外の雨は降り続き、パチンコのようであった。
「第七官界彷徨」の二次創作。
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ホドロフスキーのDUNE | Jodorowsky's DUNE
監督 : フランク・パヴィッチ | ドキュメンタリー 2013年
July 28, 2014 鑑賞
This system make of us slaves.
Without dignity. Without depth.
With a devil in our pocket.
This incredible money are in the pocket.
This Money. This shit. This nothing.
This paper who have nothing inside.
アレハンドロ・ホドロフスキーという名は、昨年冬にビデオで「エル・トポ」を観た際に記憶した。僕はホドロフスキーの映画を、その「エル・トポ」しか観たことがないけれども、アンタッチャブルな奇特さが心に深く残っている。
本作は、かつてホドロフスキーによって進められた、SF大作「DUNE」の映画化について振り返るドキュメンタリー。
妥協がない。
妥協がないと云えば、スタンリー・キューブリックも相当の完璧主義者だったそうだが、またそれとは方向性の違う妥協のなさ。キューブリックがモチーフへの整合性を映像や演出に於いて完璧に整えようとするのに対して、ホドロフスキーはアイデアを実現させることに関して一歩も退かない。むしろその点については整合性すら重視していないかのように思えた。
登場5分のチョイ役とはいえ、ダリに映画出演を依頼するなど正気とは思えない。そして出演の許諾をとってしまうのが、またすごい。
結局この「DUNE」の制作は頓挫するのだが、それもホドロフスキーの「妥協のなさ」が招いた結末なのだと思う。出資者たちの「常識」と、ホドロフスキーの「作品」は、妥協することができなかったのだろう。
しかし、映画に限らず過去の名作とか、事件や出来事なども含め、今でも語り草になっているようなものは、だいたいが中核にある種の狂気を秘めたまま妥協しなかったものだったのではないかと思う。不純な手垢まみれになったものや、すべての意見を咀嚼して平均化したもののエッジは、鈍い。
冒頭でまず、ホドロフスキーの紹介として過去の仕事などの解説がある。演劇畑の人だと知って、いろいろ納得。
あと、ドキュメンタリーなのにBGMがとても良くて印象に残っている。
で、次はホドロフスキー最新作「リアリティのダンス」。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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たぶん10月になって、残暑も消え失せ、肌寒い時期はあっという間に過ぎて、グループ制作の進捗は相変わらず泥沼から抜け出せないまま、11月には最終プレゼンの〆切が迫った都合上の折り合いをつけて、ようやく自分たちのチームも何かを作り始めていた。つなぎの作業着でも寒い季節になっていた。
僕のアパートに集まって会議をすることは減って、工房設備や作業スペースのある学校に生活の軸が移った。
アイデアを出し合ってまとめあげることが困難な状況になってしまったため、それぞれ分担を決めて、たまに擦り合わせを挿みつつ、必要なものを各自黙々と制作する日々が続いた。手が空けば他を手伝ったり、用具の買出しに出たりと協力もし合ったが、グループ制作としては明らかに失敗していたし、巻き返しも不可能に思えた。
それでも提出するために作らなくてはならなかったのは苦しかった。自分はつまらない、みっともないものを作っていると思った。
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大学の作業机周り。
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インサイド・ルーウィン・デイヴィス | Inside Llewyn Davis
監督 : ジョイル & イーサン・コーエン | 映画 2013年
July 23, 2014 鑑賞
WHAT ARE YOU DOING?
多くのことが解決せず、むしろ疑念や問題を新たに抱え込んだまま、冒頭の場面に戻って「あばよ」の台詞で突き放すように幕を閉じる。
日常というのはこういったことの繰り返しで、誰もがいつも問題を抱えていて、よくある「物語」のように美しく収束してはいかないものだと、そんなリアリティを感じた。
新聞の映画評欄の哀しみ溢れる記事で興味を持ち、“残念なのは、ルーウィンに完全には共感できないところ”という評を読むに至って観に行くことを決めた。この哀れで冴えないクズの男が、救いのないままクズっぱなしで終わることが期待できそうに感じた。
映画は期待通り、クズっぱなしですばらしかった。むしろ主人公ルーウィン以外もなかなか人間らしい素敵なクズ揃いで、コレクター心も満足した。自分と同等かそれ以上の碌でもない人間の生き様を突きつけられると、ある種の勇気が湧く。自分の芸術を信じて、信じすぎて他人とは容易に交わらないルーウィンのやり方に苦い憧れを感じたし、生活が破綻している様子や他人から浴びせられる言葉などに自身の心当たりが想起され、映画鑑賞からたびたび意識が離れてしまったのは残念だった。もちろんそれは作品の所為ではない。
ご都合主義的なハッピーエンドで括られなくて良かった。ネコもかわいかったし、かわいそうで、満足した。
“将来のこととか考えないの?”
好きなようにやりつつ、生活する方法を、考えることから、逃げないこと。
岡山でミニシアター系の作品を取り扱っているのは、おそらく丸の内のシネマ・クレールくらい。作品にもよると思うけどなかなか寂しい人入りなので、なくなってから泣かないように、観たいものを見つけてたびたび足を運ぶようにしたいと思った。
この夏は観てみたいのが結構たくさんあって自分の資金の方が心配。文化砂漠都市なので、投資のつもり25%くらい含めつつ良い出会いがあればと思う。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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「じゃ、おつかれさま」と別れて、蒸し暑い夜道を30分ほど歩いて帰るルートはたぶんいつも通りで、感覚的にはほとんど自動運転のように歩行を無意識に任せて、意識の方では暖かい冬の映画館で息を引き取らないための方法を考え始めていた。
23時を回って車道の往来も少なく、信号機は黄色の点滅で職務を半ば放棄していた。路線バスのダイヤもきっと途切れていたはずの停留所の明かりの下で、男の子と女の子がベンチに座っていて、僕が歩道の暗闇から姿を現すとおしゃべりのボリュームをスッと下げてしまった。ごめんなこんな時間に、ごめんな徒歩だから通り過ぎるにも時間がかかって、ごめんなキミらのことはどうでもよくて僕は今夜に満足している。
夏休みだろうか。たくさんの若者とすれ違った。結局意識もいつの間にかどこかへ行ってしまって、気付くと最寄りのファミリーマートで、黒髪の眼鏡の女の子の店員が今夜も働いてるなと思いながら、500mlの黒ラベルを買って帰宅した。苦かった。
July 23, Wed., 2014
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