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blue, blue age
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夏場から続いていた共同制作課題が疲労感と徒労感を残して終わった後、そんなことにはお構いなしに次の第4課題は始まっていた。この頃にはもう、3年生が始まった当初の頑張りが利かなくなっていた。「やればできる」という感覚だけがただ残り、気を焦らせたが、やる気がまるで無かった。「これくらいやらなくては」と、夏場から始めた早朝のアルバイトもつらくなった。
共同制作課題が終わった直後か、それとも第4課題から逃避していた頃か、時期は判らないが、学校のある山を宛てもなく自転車を転がした日があったことは憶えている。
課題はテーマ選択の段階から何も進まなかった。躓くことすらなく、ただ時間が過ぎた。
この写真の後、同じフィルムには石油ストーブの様子を撮ったつまらない写真が残っている。寒かったのだろう。
青の時代 破 オワリ
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blue, blue age
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blue, blue age
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blue, blue age
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blue, blue age
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自転車で、道路を気になる方へ、見たことのない場所がありそうな方へ。
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アルバイトに出たものの仕事はなかった。ただ漫然と定時まで座って時給を拾うのは人生への冒涜だと思ったし、きれいな秋晴れの午後だったから、上長に願い出て早退した。カメラを持って街を歩いても良かったし、自宅へ帰って有意義な自分の仕事をしても良かった。
月曜の街は、午休み風のオフィスマンが行き交っていた。罪の味がした。月曜、平日、東京へ行こうと思いついた。日曜は休みの、19時には閉まる、東京。
東京は二度目だった。コーヒーと、セットのランチを頼んだ。食べて、新聞を読んで、ノートを開いて、コーヒーを喫みながら本を読んだ。以前ここを訪れたときに借してもらった文集。
傍らにやってきたご主人に、レコードのリクエストはありませんかと訊かれた。クラシックはほどほどに聴くけれど、ぱっと曲目が閃くほど詳しくなかったので辞退した。残念に思いながら、どうだろうと考え、ピアノ曲が好きだと思った。ほどなく弦楽曲が流れ始めた。それはそれで良かった。
奥付まで本を読み終えて、東京を出た。秋分を少し過ぎた秋のこと。日が短くなる。
喫茶 東京
岡山市北区田町1-13-15 | MAP
営業: 10:00–19:00
定休: 日曜・祝日
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アルバイトの後、近くの病院に入院中のおばあちゃんを見舞った。
「動けんけど退屈しとらんの?」
「でーじょーぶよ。他の人と話したりな、ラジオが、深夜便とか」
「深夜便、おれもよー聴いとるよ。夜中に仕事しながらとか」
「音楽とかいろいろなあ。眠かったら寝てもええし」
「わりあい静かじゃしな」
「そうじゃ」
今夜も僕は「深夜便」を聴いている。
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昨日のこと。某有名百貨店の寒いオフィスで時給労働に従事していた夕方、突然のメールでコンサートに誘われ、全然そんな話は知らなかったのだけど、好きだし、「行ぐ」と返して、以後は仕事と帰り支度を同時進行させた。開演時刻が退勤時刻だったので、「5分な」と言われ心苦しく待ってもらって、ビルを出てN通りを走った。ヤマトの集配所の前でクロネコを見かけた。にゃーん。
ぜえぜえ。ごめんお待たせ。ずいぶん上るのだな。あ、本物だ。初めて見た。
好きと言っても古い歌しか知らないしキャリアも長いので、知ってるのが聴けたらラッキーくらいに思っていたら、つい先日蔦屋で借りた3枚目の40周年記念ツアーだとかで、頭から順に全曲やります。わーい。
「いろいろあったと思うンだけど、40年前、みなさんどうしてました?」生まれてません。
40年前に青春があった大多数の皆様のピュアなハートが夜空に弾け飛んで、当時は影も形もなかった僕らも白い一日がますます真っ白になり、アンコールに手拍子で汗をかき冷静になり、唐揚げとエビチリと反省会で解散!
何がすばらしいって、時給労働1日の稼ぎがだいたい¥8,000で、コンサートも税別¥8,000で、つまり僕は退勤5分でその日の稼ぎを喪失したのだけど、あの寒いオフィスに8時間座っていればプライスレスな時間を楽しめるんだなと考えたら資本主義チョロいなと思いました。(※)
売り渡した人生を色付きで買い戻した。
※食事代は別途要 A定食¥1,000
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9月16日
きょう、バアバが手術をした。もしかすると、まだかも知れないが、私にはわからない。ママンからメールをもらった。「おばあちゃんの手術開始時間が遅れて今からになりました」これでは何もわからない。恐らく遅れたのだろう。
赤磐の自宅で転倒して腰椎を折ったバアバは、岡山の医院で手術をすることになった。仕事で駆けつけられぬ私は、その晩の夕飯の心配をしていた。友人のマリイを待って、——さすがに海水浴へは行かなかったが、朝鮮料理を食べてビールを飲んだ。石焼ビビンバを、好きに選ばせてもらった。マリイが飲む紅いドリンクについて、「それはアルコール?」と尋ねた。「たぶんそう」と言った。
店を出て通りを歩き、立寄ったダスキンでドーナッツを買うマリイを眺めているうちに、私もひとつテイクアウトしていた。自分のせいではないのだ、と彼女にいいたかったが、それは何ものをも意味しない。いずれにしても、ひとはいつでも多少過ちをおかすのだ。
マリイをアパルトメントまで送って、帰宅した。もし仮に——殺人事件の被告となるようなことがあるとすれば、私はバアバの手術の間にプルコギ風のビビンバを食べ、チョコファッションをひとつ買ったことによって処刑台に送られるだろう。ドーナッツは、明日にしようと思った。
9月20日
医院は勤め先の某有名百貨店から半キロほどの、A町にある。19時の退勤から徒歩でも、すぐに着くだろう。そうすれば、20時の面会終了までにいくらも話ができる。
私は医院裏手の救急窓口で門衛に話しかけた。「面会に来たが、部屋番号を聞いていない」——窓口の注意書きには、面会の際に部屋番号を申告する旨記されていた。「大丈夫でしょうか」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫ですョ」と番号を調べてくれた。
三階の詰所に立寄るよう言われたので、詰所で看護師に声をかけた。マスクをかけた女看護師が、親切にバアバのベッドを教えてくれた。バアバはラジオを聴いていた。私に気付くと顔を上げて、「誰かなぁ」と言った。「おれおれ」と、詐欺師まがいの返事をした。骨折以来脚を動かせないというバアバは、ひどく疲れているように見えた。明日には抜糸するのだという。リハビリをがんばるよう言ったが、よく聴こえていないようだった。耳が遠いのだが、共同病室で声を張ることもできなかった。バアバは「仕事はしょーるか」と言った。「しょーる」と頷いた。嘘ではなかった。
また来ると言って、病室を出た。門衛にも礼を言って、医院を出た。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、翌日の日曜日に——日曜日なのに溜め込んでしまった仕事が、憎悪の叫びとともにきれいに片付いてしまうことだけだった。
窪田啓作訳「異邦人」の二次創作。
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9月の映画の日、鑑賞した映画についての反省会はそこそこに、「そういえば」と前の週に観たという絵画展の話の方が盛り上がった。良い展示は、創ろうという気にさせてくれる。買ってきた絵葉書をM子にあげた。
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8月の夏休みの未明、眠気を待ちながら読んでいた本の一節に目が止まった。好きだったのに無くなってしまったテキストサイトの名前の、これが元ネタだったのかと、唐突な巡り合わせに嬉しくなった。借り物の本だった。
その一節で検索をかけてみると、無くなったサイトが別の場所で再開されているのも見つけた。そのうち眠りに落ちたと思う。
午後から絵画展を観に行った。きれいな絵をたくさん観られとても良かった。画材をもう少し、ふだんから持ち歩こうと思った。
展示の最後に掲示されていた、年を重ねるということについて肯定的に綴られた画伯の言葉も、絵と同じくらい良かった。受け取ったものを、与えられるということ。
画集と、絵葉書を買った。
展示を観ている途中で見つけたH氏と落ち合い、本町の喫茶店のカウンターで、絵の話もそこそこに、超常現象や街の都市計画の話で盛り上がった。UFOが実在しようがしまいが、結局この街はつまらない。
絵の感動も霧散する虚無の商店街を往復して、鉄道の時刻で解散した。
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her/世界でひとつの彼女
監督 : スパイク・ジョーンズ | 映画 2013年
Sep. 1, 2014 鑑賞
人工知能との恋愛という字面から想像されがちな寒さを、映像は感じさせなかった。
AIの彼女が、対話や自己学習を通じて獲得した感情の機微を露にする様子は「電話の向こうの彼女」のようにしか見えないし、疲弊して塞ぎ込んでいた「彼氏」もまた、彼女との付き合いを通じて人間らしさを取り戻していく。デートに出かけたり、性交を試みたり、美しい景色を共有したり、AIという新しい対象とのコミュニケーションは、それほど違和感を抱かせない、近い将来に実際にあり得そうな、やりすぎない表現(というより現在の人間同士のITを駆使したコミュニケーションをAIと交わしているだけ)で示されている。
だけど何か寒く、心が入っていかない。
よくできているのに、自分の頭の中に「機械と喋っている」という観念が強固に居座っている。それは映画のせいではなく、僕がオールドタイプなのだと思う。
ただ、僕には鑑賞前からその自覚があり、ではなぜ敢えてAIとの恋愛などを観に行ったかと言うと、現在に於ける常識的な恋愛観なり人間観を覆すような、狂っているけどすばらしい、革新的な尺度が示されるかも知れないと思ったからだ。
結末としては、AIは人間を超えてしまったことで人々の許から去り、また寂しくなった人間同士で寄り添っていくという、常識的な枠内で収まってしまった感じがして残念だった。ただそれも、期待とずれたというだけで、AIが去ったあとに取り残された人間模様から改めて考えると、AIという舞台装置を用いて、最初から人間同士のことを描いていたのかも知れない。
「her」というの、ため息の意味もかけてたりしてな。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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肝心なところで素直に動かないのは、咄嗟の判断が本当の願望にブレーキをかけるのは、何のためにプログラムされたのだろう。
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頭から離れない。よくやるのを、またやった。
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夜中に手を洗っていると、流しの上の小さな窓から、涼しい外の空気が滑り込んでいた。
また言葉を散逸させそうでいやになる。
Aug. 28, Thu., A.M.
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ジョゼと虎と魚たち
監督 : 犬童一心 | 映画 2003年
Aug. 13, 2014 鑑賞
我々は またもや孤独になる
それでも同じことなのだ
其処に また流れ去った一年の月日があるだけなのだ
ええ、解ってるわ。解ってる。
晴れた昼の外出。持って帰れない雲。曇り硝子越しのばあさん。壊れた乳母車。旅行。入れなかった水族館。海。ルートイン。餞別。
「二度とない」ということ。
例えば遠出先の鉄道の車窓の、知らない土地の集落や道路を眺めていてふいに、「たぶんここに来ることはもうないだろうな」などと思って感傷的になる。例えば子供の頃の記憶の断片に触れて、「あれは何だったのだろう」と、場所も日付も判らない、ただ純粋の懐かしさに悶える。
日常は、些細な二度とないことの連続で、だから思い出が美しいのだろうけど、そのことを改めて認識すると目眩を感じる。これからも、生きているうちにはいろいろなことが終わって、最後のときがあって、いくつかの美しい思い出に温かく苛まれることもあるだろう。
電動車椅子に馴染んだジョゼの後ろ姿が胸を抉る。
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