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IKEAの順路の終末にはフードコートがあり、家族連れの地獄が広がっていた。地獄を抜け、三宮まで出てカフェで何かを食べた。「あとは好きにしなさい」と、棚降ろし人夫の役から解放され、そこで母親と別れた。
行きたいところはなかった。神戸のことを何も知らなかった。大阪で働いている古い友人にメールを送ってみた。客商売で、返事は期待できそうになかった。
適当に歩こうと思った。
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郊遊/ピクニック
監督 : 蔡明亮 | 映画 2013年
Oct. 10, 2014 鑑賞
幼い娘が、母親に物語を聞かせる場面がある。
暮らしの厳しい蛙たちが天神様に救済をお願いすると、役に立たない棒切れが与えられた。再びお願いをすると、今度は大きな鳥がやってきて、みんな食べられてしまった。
確かそんな話だったと思う。
BGMが全くない長回しの連続で構成されている。主に父親と兄妹の暮らしぶりを味付けなしで描写しているが、味は濃い。
看板持ちのアルバイトが終わった父親は、海で子供たちを遊ばせながら時間をやり過ごす。スーパーの弁当を路側に並んで食べ、公衆トイレで歯を磨き体を拭う。稼ぎから食べさせるだけでなくある程度の玩具も買ってやる。子供たちは昼間はスーパーを巡回して試食を食べたり退屈しのぎをする。そんな暮らしに特に不満もなさそうに、同じ寝床で仲良く暮らしている。
そんな映像が続くが、心が温まらない。ただならない緊張感が迫ってくる。
家族の暮らしを支えている父親は、ひとりになると限界を露呈する。だれに助けを求めるでもなく、明示的な言葉を吐くでもなく、ただひとり嵐の中で看板を支えながら、みるみる瞳が充血していく。
救いのないどん詰まり感が果てしない。胸が締め付けられる。蛙の物語。つらい。
看板持ちのアルバイトは経験がある。
人間存在に思いが至る。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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blue, blue age
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2003年の1月23日の日記に、“また雪が降ったなあ。寒いよ”という記述がある。
その日かも知れないし、全然別の日かも知れない。
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3年生の中盤から導入したデジタルカメラのおかげで、課題のリサーチにフィルム代を費やすことから解放されたが、最終課題の最中に誤って壊してしまった。呆ーっとしていて落としたのだが、大きくてしっかりした機体だったので、反作用のエネルギーも大きかった。
記録によると、First Wow!——落下させたのが12月15日、Later Wow!——ご臨終が12月28日。
しかし年明け前には次の機体を手に入れている。取り回しの良い、小さくて軽いものを選んだ。CASIOのEXILIMの初代。出た当時はびっくりした。こんなに小さくできるのかと。動画も撮れたし、録音もできた。MP3で音楽も聴けた(音がスカスカで全然だめだったけど)。
とにかくわくわくして、大晦日にひとりでこんな動画を撮ってしまう。携帯電話にカメラが装備されるのは、まだ少し先のことだった。
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blue, blue age
大学の三年を消化し、平成十五年を迎えていた。
三年生の最後の課題も酷い出来映えだった。やる気が起こらず、制作期間の大半を消化してからようやく、焦りからいい加減にテーマを考え、思い付いたままのアイデアにすがりつき、作り込みのない稚拙なプレゼンをした。落第は免れたようだったが、春に一念発起して結果も出したときの意欲は、冬には磨り減って失せていた。
恐怖に追い立てられて制作をし、それでいて僅かな残り時間のうちに、荒くても一通り揃えて提出してしまう。それにほっとするのは一時だけで、最初からきちんと取り組んでいればもっとまともにできたのではないかと、そんな後悔にいつも悩んだ。緻密な日程を組んでは消化が追いつかず、再び日程を組み直す不毛に明け暮れた。
花形の家電や自動車などのメーカーを志望する同級生は、年明け前から課題と併行して実習などに取り組んでいた。ポートフォリオも仕上げていた。僕も、志望関係が募集を始める春までにはポートフォリオを組まなければならなかった。
不慣れなグラフィックデザイン(当時は工業デザインを専攻していた)だけでなく、肝心の作品に対してどうしても自信が持てなかった。
漫然と過ごした二年生までの制作は当然、三年生の制作は近作になるほど質が落ち、好評価だった序盤の作品も地味で見栄えがしないように感じた。他人の作品のラインアップが羨ましく思えた。それは公私に亘って意欲的に取り組んできた人の成果だった。
自分で良いと思ってもいないものを、良いものであると自信を持って提示してみせなければならないことは、拒絶感すら伴う苦痛だった。そしてそれは、作品のことだけではないのだと思い知ることになる。
広くて寒いアパートの部屋で、長い冬をひとりで過ごした。二十一歳。
ヱヴァ新劇の「序・破・Q」は、雅楽の「序・破・急」というものが元ネタだと知った。
「破」も「Q」もまだ観ていない。
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イヴ・サンローラン | Yves Saint Laurent
監督 : ジャリル・レスペール | 映画 2014年
Nov. 1, 2014 鑑賞
主演のピエール・ニネが美しすぎて、動いている姿を眺めるだけで愉しかった。冒頭、後姿の登場からワクワクしてしまい「早よ前向けや!」などと思ったし、ステッドラーの鉛筆を使っているのを見て「お揃い!」などと感激したのだった。
ニネ氏の罪によりやや舞い上がり気味の鑑賞になってしまったが、映画としても良かった。才能に溢れながら、他のことに関してはグズグズでだらしなく、善し悪しすべてを全力で発揮して一直線に壊れて行く様は、切花を観るようで完璧に美しかった。
孤独な人間が見せる、哀しみを湛えた微笑みが頭に残る。
美しさの1割も表現できない。
岡山市北区丸の内
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
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†
TSUMARA-NAI MONOGATARI
O
HANSHA SHITE IRO
TORIDORI NO AZAYAKA
NI SOMARU
†
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10年後とか20年後というものがあったとして、「あの人どうしてるかな」と思うのはつらいだろうな。
でも、そんなのばかりだろうな。
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5年越しの懸案を解消するために役所へ出かけた。手続きはすぐに終わった。書類さえ揃えておけば、個人的な重大事も機械的に処理され、滞りがない。高度な社会だ。
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水がつめたい。
肌はかさかさ、指はぼろぼろ、それでも毎年冬を待っている。
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仕事の出張でやって来たSくんと3年ぶりに再会した。彼ももう古い友人に属するつきあいだが、地元は違うし、同じ学校で学んだわけでもない。大学を出て初めて勤めた会社で2週間ほど一緒に雑用をして、ある日一緒に社長に呼ばれてクビになった、それだけ。
街で展開されていたよく解らないアートを巡りながら街を案内すると、自分もそれなりに地元のことを知っているような気がした。適当に歩いて、適当にお茶を飲んで、お互いの活動の話を、年賀状くらいしかやり取りがないので、いくらでも初耳の新鮮。思い出話なんてものがなく、今と先の話ばかりで進歩的だと思った。
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つまらないリフォームハウスのつまらない家具選びには意見せず、棚降ろし人夫としての役割を黙とこなした。僅かながら、自分の意志でカートに加えた商品もある。コーヒー豆を保存するための密閉瓶を、ふたつ。¥400くらい。
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実家のつまらないリフォームが終わった後、家具が要るとかで、母親に付き従って神戸まで出かけた。
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アマニタ・パンセリナ
著 : 中島らも | エッセイ 1995年刊
集英社文庫
Jan. 30–Mar. 5, 2014 読了
テングダケ(学名 : Amanita pantherina)
食べると下痢や嘔吐、幻覚などの症状を引き起こし、最悪の場合、意識不明に至ることもある
アルコール中毒の第一人者である中島らも氏が、合法非合法様々の“酩酊”する薬物について、自身の実体験を基に面白哀しく綴っている。面白いのは氏の軽妙な語り口。哀しいのは引き込まれて戻らなかった人たち。
“人はなぜ「ガマ」まで吸ったりするのだろうか”……
僕は麻薬の類をやったことがない。大学で先輩方に囲まれてせいぜい煙草を吸うようになっただけだし、それもお金がなくなってから止めてしまった。20代前半頃の何年か、脳に効く類の合法処方薬漬けだったことはあるが、それでも麻薬とはまた違うだろう。
この本を読んでもやっぱり、やってみたいとは思わなかった。たぶん、自己を喪失することに抵抗があるのだと思う。ぼんやりしたくないし、空も飛びたくない。
ただ、こうした薬物だけに限らず、逸脱できる人、逸脱しようとする人には強く憧れる。
僕の自己喪失への抵抗感というのも、どういう結果を招くか判らないことへの恐怖、冒険心の無さなのだろうと思う。未知に対して憧れを持てること、それに対して抵抗感すらなくどんどん分け入ってしまえること、そんなことが自分にはない超人性のように映る。
僕にできるのはせいぜいパンクを目指すくらいだが、現状で既にどうにもならない感があるので、もうあと一歩だ。
仕事を抜け出したある冬の日の午後、A喫茶でお茶を喫みながら対面のふぃおな・まくろおど嬢が「ひまつぶしに」と取り出したのは、詩の選集と、薬物の本だった。鋭くも温かい陽が差し込む窓際で、大雑把にまとめるとノーフューチャーであるというような話をひとしきり、夕方に別れる折に嬢が貸してくれたのは、薬物本の方だった。
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10月16日、木曜。H氏と、今期のアルバイトでシフトがかち合う最後の日だった。二人で適当に喋りながら仕事をつぶして定時退勤すると、どこか行こうかということになる。
その日も、コーヒーを求めて喫茶店を検討し始めた。とりあえず、いつも遅くまで開いている本町の喫茶Hへ行くことにした。職場のある表町から駅前の本町へ向かう途上では、だいたいいつもこの街に対する悪態で話題が埋まる。What the hell, What the hell...。
喫茶Hは閉まっていた。初めてのことだった。
そのまま駅で解散しても良かったが、もう少し粘ることにした。表町方面まで引き返して、当初の候補の一であったカフェRを目指しつつ、遅くまで開いている未知の喫茶店を探した。
通りの両側とも、飲み屋ばかりだった。3階のRも閉まっていた。2階のSはチャージを嫌ってパスした。川沿いのカフェMにも脚を伸ばした。Mの灯りの内で、幾人かが話をしているのが見えた。ひとりが我々に気付いて出てきた。「今日は閉店なんです」
今日はだめだなと、再び駅の方角へ歩いていると、Hがセブンイレブンに寄ると言い出した。「セブンのコーヒーを飲む」
それも良いだろうと思ってつき合うことにした。どうせ100円だ。やや歩き疲れたのもあって、適当なスイーツでも買ってシェアしようと棚を物色している間、Hはレジでカップを注文しながら店員と何か話をしていた。
肌寒くなってきた夜気に晒されながら、200円の小さなブラウニーケーキをひと切れ、Hに分けた。余計に侘しくなった。先ほどHと話をしていた店員は、Hの中学の同級生の弟なのだという。地元から遠く離れた、奇妙な場所で久しぶりに再会したということだった。
レギュラーサイズを飲み終えてゴミ箱を探したが、そのセブンにはゴミ箱がなかった。空のカップを片手に、再び駅まで歩き始めながらHがつぶやいた。「同じ人間にしか会えねえ」
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