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宇野港芸術映画座
玉野市 宇野港野外トレーラー劇場
Aug. 8. Sun. 2010 堪能
宇野港の国鉄連絡船(フェリーに電車載っけてた ! )の発着場跡地で一週間ほどの間開催されていた映画上映会。
この跡地というのが今は全く何もない草っ原で、そのだだっ広い中にぽつんと置かれたトレーラーにスクリーンを張って、星空の下で映画を鑑賞するという趣向でした。映画監督の上杉幸三 MAX さんと奥さんのタハラレイコさんの共同主催で、開催地玉野出身の MAX 氏がいろいろな思いを込めての発着場跡地、トレーラーとのこと。
かつて造船で栄え、連絡船で栄え、瀬戸大橋の開通で廃れた町を、直島至近というアートの土壌と絡めながら芸術映画によって再び興していこうと、そんな企画の第一歩と思う。地元への想いを語る MAX 氏の上映前の挨拶に、地元の方であろうおっさんがウムウムと深く首頷しながら聞いていたのが印象的だった。
私が行ったのは最終の日曜。今年が第一回ということもあっただろうか、もっと賑わっていても良かったと思う。
商業ベースの映画館などではなかなかお目にかかれないようなラインナップであり、作る側、観る側双方にとって貴重な場となるだろう。地元に定着するイベントに発展していけばと思う。
あと、夏の夜空の下で映画を観るのはなかなかいいよ。
宇野港芸術映画座
web DICE - 骰子の眼(当日の様子がよくわかる記事。黄色いポロ男も写っています。)
8月 8日の晩のプログラムは、主催の MAX とレイコさんの共同制作ドキュメンタリー「円明院 —ある95歳の女僧によれば」でした。
映画座開催地宇野にある寺院を永く守ってきた尼僧の生き様を軸に、所属する宗派に根ざす問題を抉り出したり、後継者の想い、はたまた制作者である MAX & レイコ夫妻の想いまでも絡めた作品。
実は当日のプログラムを読み違えていて全く予期しなかった映画を観ることになったのですが、むしろプログラムなど頭に入れず、行った日に演っている映画を観るというのがこういった映画イベントの楽しみかも知れないなと思いました。
昼間は直島でアート鑑賞、帰りは宇野の野原で映画 ! という夏が定着しないかな。
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台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき
劇団維新派 松本 雄吉 作・演出 | 演劇 2010年
Jul. 31. Sat. 2010 鑑賞
演劇に興味がなく、維新派という劇団のことも知らなかった。ところがこの劇、瀬戸内国際芸術祭のイベントのひとつで、文化人的情報収集をしていると必ず網に引っかかってくる。しかもその殆どが賞賛絶賛雨絶賛。こうなれば天の邪鬼の私が興味を持つはずがない。
ところが「犬島時間」のボランティアに参加したところ、維新派のチケットをタダでいただける超展開が発生。相変わらず興味はなかったけれども、いろいろな人が「観ておくべきだ !」と勧めるので、ますます天の邪鬼的疑心を抱きながらも観ることにした。
二時間、長えなー
観た。やべー、なんだこれは !
序盤、意味不明。フナムシ ! フナムシ ! どんぶらこっこ
中盤、解読可能。意味不明に見える舞台の中から「物語」を探し出す方法を発見。
終盤、語る死す。ドーン。拍手 ! 賞賛絶賛雨絶賛 !
様々な糸が結局、先の大戦と敗戦に収束していくということが、小学校程度の歴史さえ知っていれば判ってしまうので、中盤に活躍する人々の姿が活き活きとすればするほどもの哀しい。
ただ、そこに示された日本人たちの姿、アジアの海を渡って種を蒔き実らせていた姿は、戦後復興をまず始めとして、「まだまだいけるよ日本 ! 」というメッセージ(「ただし、また同じ轍を踏むなよ」というのも含めて)のように思えた。
「船はボロだが、また出航していく」か、「まだ漂っているが、もうボロ船」か。これは劇の解釈ではなく、今後、私や私たちがどうしていくかに委ねられているだろう。いい〆。
犬島公演では野外に舞台を設置し、製錬所の跡地と夕刻から徐々に暮れていく空を借景にした舞台演出がすばらしかったです。
12月には埼玉で、これと同じ劇の公演があるようです。こちらはホールでの公演のようですが、犬島とは違った演出を準備していることと思います。
お近くの方、演劇に興味のある方もない方も、観に行かれることをお勧めいたします。ドーンで拍手 !
台湾の、灰色の牛が背伸びをしたとき
Dec. 2. Thu. – 5. Sun. 2010
彩の国さいたま芸術劇場
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blue, blue age
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橋がある。その先には延々と続く生活がある。理想郷だとか非日常は、ない。
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犬が寝ている。犬は何処へも行けない。
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屋根の数。人の数。瓦の数。
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此処は避難小屋。何からの避難 ? それは自分自身から。
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誰もが見ていて、誰も見ていない。
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7月の頭に、表町から岡山駅の西口方面へ移転したばかりの洋食屋さん、「いらっしゃい亭」の宣伝用小冊子を作らせていただきました。
これまで音楽関係のフライヤーなどの依頼が多く、その分野では九州への進出も果たし、全国制覇の野望を燃やしているスタジオ貝* なのですが、この度ついに外食産業への進出を果たしたのです。この流れに乗って、日本の食物産業を牛耳るのも時間の問題かと思う昨今です。
メニューは帝国ホテルなどで修行を積んでこられたシェフの自信作ではありますが、私でもたまに食べられるくらいの安心価格で提供されています。岡山駅の西口からもすぐ近くですので、駅に用事、或いは帰りなどにふらっと寄ってみてはいかがでしょう。
挿絵のオムライスに対してスプーンとフォークをでかく描きすぎましたが、オムライスが小さいということはありません。
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犬島時間
岡山市東区 犬島
Jul. 31. Sat. – Aug. 1. Sun. 2010 堪能
犬島は岡山市の宝伝港沖にある瀬戸内の島。犬島の他にも無人島含め大小いくつかの島があり、犬島諸島を形成している、のだそうな。近いのに知らんかった。
「犬島時間」は、犬島を舞台に様々な分野で活躍される皆さんによる創作品を通じて、島も作品も堪能しようという、そんなイベントです。「瀬戸内国際芸術祭」や「製錬所」などに先駆けて始められ、今回は七回目だそうです。
堪能してきました。先日の土曜日曜に泊まりがけでお手伝いに参加してきました。お客さんに展示作品について説明をしたり、作家さんと作品のことじゃない話をしたり、暑いですねと島のおじさんと話したり、夜は花火のような演劇を観て屋台でジャンクをぽんぽん買ってビールを飲んで大きな共同風呂に入って金鳥の渦巻と古い家屋の匂いが混じった扇風機。
昔おばあちゃんの家で過したような夏の日。潮風。蝉時雨。毒抜き。
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少し観そびれたものがあるので、今度はお客さんとして行こうかなと考えています。宝伝港→犬島 | 犬島時間 | 製錬所→豊島→宇野港 | 宇野港芸術映画座。
こんなプランで日曜。いけるかな。たぶん可能。明日は仕事。時給の発生する椅子に座って、旅賃を稼いでくる。
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奉教人の死
芥川 龍之介 著 | 小説 1916–1924年
新潮文庫
奉教人の死 / るしへる / 神神の微笑 / おぎん / 糸女覚え書 他
Jun. 15. – Jul. 29. 2010 読了
「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、——みんな悪魔にさらわれましょう」
(いんへるの Inferno = 地獄)
上記の引用部分、そこだけ読むとなにやら不穏な感じであるけれども、基督者ではない立場から読めばこれがなかなかよい話なんである。それはこんないきさつ——
孤児のおぎんは信仰篤いきりしたん夫婦に引き取られ、自身も洗礼を受けて幸せに暮らしていた。ところが基督教禁制の時代、おぎん一家は役人に囚われ、火炙りに処されようとしていた。棄教すれば助かる。が、もちろん誰も教えを棄てない。そのまま殉教すればはらいそ(Paraiso = 天国)へ行けるのだ。
ところが突然、それまで基督の教えに最も素直だったおぎんが教えを棄てると言い出した。育ての両親はおぎんをたしなめる。もう少し辛抱すればはらいそで御主に会えるというのに……
しかし、縄を解かれたおぎんは言った。——憶えていないほど昔に死んだ産みの両親は基督者ではなかったから今頃はいんへるのへ堕ちているはずだ。なのに私だけはらいそへ行って幸せに暮らすことはどうしてもできない。私は教えを棄てることで両親を追っていんへるのへ行きます。——
結局最後には一家三人とも教えを棄て、解放される。彼らが堕落したことに悪魔は狂喜し、大きな書物に化けて終夜刑場を飛び回ったと云う。この顛末について、——そんなに喜ぶほど悪魔にとって成功と云えるのか、作者(= 芥川)は甚だ疑問に思う——ということで物語を〆ている。
こんな感じで、昔の基督教関連の文献から材をとって書かれた短編を集めた一冊。基督教について肯定的とも否定的ともとれるような書き方で綴られている。悪魔についての記述も多いが、いずれも小賢しいだけだったりポリシーを持っていたりと単純な悪党の描写はされておらず、かわいい。
基督教文化を根っことして持たない我々日本人には、子供の頃に異国の童話を聞いたときのような感覚で読むことができるのではないでしょうか。
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今夜のことですが時刻は判りません。いつから世話をしていたのか家族の誰も憶えていないほどの昔からうちで暮らしていた白い猫が、先ほど死んだようです。
私の記憶では、私が中学生の頃には居たような気がするので、少なくとも十四、五年はここに暮らしていたはずです。生まれは知らないので、年齢はそれ以上。華奢でどんくさく、臆病な猫でした。もう掃除機に怯えることもないでしょう。
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みなさま、新年明けましておめでとうございます。
夏に年賀状を出すことなんて私には何の抵抗感もないし、まだ明けてもいない暮れにそ知らぬ顔でせこせこ「明けまして御目出度う御座居ます」などと綴るよりもむしろ健全であるとも思える。新年が無事に明けたことのめでたさは何も正月が過ぎればかき消えてしまうことでもなく、夏至が過ぎてもおめでたいことなのだから、いつ年賀状を出したって問題はないのだ。正月に集中しない方が郵便局員もラクなのだ。官製葉書ではないからお年玉くじがついていないが、ギャンブルは不健全で人心が荒むのでこの方がお互いのためになるのだ。
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アパートから往来へ出た。石の街で私は異邦人だった。
八月になってしまった。反省の多い夏だった。過去形 ? そう、あと数日もすれば秋になる。
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