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目詰まりをしたプリンターが吐き出す画は魅力的だ。
期待されるビジョンから或る色がそっくり抜け落ちて、識域の上下を揺さぶる。
私はそのノイジーなプリントの束を手に呟く。
「Fxxxxxck ! 」
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EPSON の PM3500C を 10 年近く使っている。普段は素直にきれいな画を出してくれる。まだ働いてもらう。
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華氏 451
フランソワ・トリュフォー 監督 | 映画 1966年
Sep. 23. Thu. 2010 鑑賞
「ファイアーマンは昔、火を消すことが仕事だったって、本当 ? 」
読書が禁止された近未来社会を描いた同名の小説を原作とした映画。
消防隊(といってもこの世界では焚書がお仕事)の隊長が書物の有害性について語る。曰く、書物は人々に余計なことを考えさせ反社会的にする——【小説】架空の人物の生き方に自己の可能性を夢想する不幸、【思想・哲学書】自分だけが正しく他は皆馬鹿者だと説く、【ファッション雑誌】たった一年で変わる流行そのものがばかげている、【肺がんに関する本】すべての喫煙者がパニックに陥った、云々……
「彼らの心の平静を保つために、我々は本を燃やすんだ。全てな ! 」
本を読んではいけないことの他は、一見して現代の生活と変わりがないような描写で、それがかえって異様な世界を際立たせている。家で読む雑誌にも仕事のファイルにも、写真と絵だけで一切文字がない(冒頭のタイトルテロップもないのはその演出らしい)。家には大きなテレビがあるが、非常に虚無的な放送に終始する。
上に引用した台詞のように、書物を禁じたことによって過去が継承されていないことが判る。
隊長の云う、心の平静。実のところ、彼が熱く語る書物批判には、「たしかに」と納得できるような筋がある。しかしそれはすべて予防の理屈だ。事が起こる前に芽を摘む。事件が起こらなければ社会は平和だ。原因と“思われる”有害なものは取り除こう——こう書くと、けっこう身近にも思い当たる節はあると思う。映画の中の物語ではない。
何も考えないことによる心の平静。食物を排泄物に変える有機機械。
有害な情報とは何だろう。世の中そう云われている情報は多い。道具もだ。しかし、その“コト”や“モノ”は存在するだけだ。それらが有害になったり悪になったりするのは、すべて取扱う人間に委ねられていると私は思う。
残酷な描写——子供の目に触れると悪影響の“恐れ”があるから排除しよう。こんな論調はクソだ。そんな白ポスト運動よりも、そうした描写に心を痛め、動かされ、思わず目を背けたくなるような感性を育てることに心血注ぐべきだ。
残酷な描写の“存在”自体に善いも悪いもない。それも人間だし、世の中残酷な事実はいくらでもある。
書物を含め世の中の情報——他人の生き方みたいなことも含めていいかも知れない——というものは、残酷で不条理な、人生という世界から判断を求められる局面でよりよい回答を導くための道具だ。
何であれ情報を遮断するということは、人々からその道具を奪うこと、選択肢を取り上げることだ。規制論者というのは、自分たちの責任を社会や制度に丸投げして、育てる苦労よりも自動で片手間の無菌培養をしたいのだ。その放棄した責任と一緒に結局は、選択肢——自由も差し出していることに気がつかないのだろうか。
気がつかないだろうな。だって、有害で残酷なのはキライ、みんなニコニコ明るい社会の話しか頭に入れないんだから、自由を奪われるなんて残酷な話はシンジラレナイワカンナイもんね。
映画は、ぼちぼち。淡々として退屈な、どちらかというと好みです。出て来る人みんなおしゃれ。
性的な描写。ミチャ、イケマセン。という親からの洗脳。
何言ってんの。あんたのその自慢のお子様はどうやって産まれたか忘れたのかい?
年頃の子供のベッドの下にエロス本があったとして何か問題ある? どうして家族会議が開かれちゃうの。罪なき被告の恥辱にまみれた青春の暗転……(幸いにそんな経験はないけど。いや、もしかしたら愛のあるスルーもあったのかも知れない)
まあ、だからといっておおっぴらにすることでもないんだけど。秘め事は秘め事なので。ただ、ガミガミすんなってこと。
「華氏 451」とは、紙が発火する温度を指しているそうです。ちなみに摂氏だと 233 度。
原作も読んでみたいと思っています。あと、しつこいですがオーウェルの「1984 年」はすばらしくお勧めします。
テレビ観てる暇があったら探して読んでください。
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blue, blue age
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9年が過ぎた今も、あの港町の匂いがする。
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おれたちはガソリン泥棒じゃない。探していただけなんだ。何かを。
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島と島を繋ぎ、海と空を隔てる。
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blue, blue age
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自由な鳥などいない。
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バグダッド・カフェ
パーシー・アドロン 監督 | 映画 1989年
Sep. 16. Thu. 2010 鑑賞
「マジックは、消えたよ。」
題名の印象だけでリストアップしていた映画。近所の TSUTAYA でもすぐに見つけたものの、なかなか観る気が起きず放置。で、やっと観たのだけど、お肌に合いませんでした。私の実生活がハートフルでウォーミングなので、わざわざ映画でそうしたものを見せられるとげっぷが出るのかも知れない。
ベタベタの「全米が泣いた」といった演出でもないし、映像効果をふんだんに盛り込んだヘンな映像なので、もしかしたらおもしろかったのかも知れない。しかし、もう一度観たいという気が起きなかった。
疲れているのかな。
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もの思う葦
太宰 治 著 | 随筆集
新潮文庫
もの思う葦 / 碧眼托鉢 / 走ラヌ名馬 / かすかな声 / 或る忠告 / 春 / 如是我聞 など
Jul. 30. – Sep. 6. 2010 読了
定理 苦しみ多ければ、それだけ、報いられること少し。
学生の頃に古本で買ったもので、これまで何度も何度も手にしてきたものだが、頭から全部読んだのは今回が初めて。というのも、1頁未満かせいぜい 3頁くらいの随筆がほとんどで、暇なとき、或いは逃避したいときに手に取って適当に開いた頁をつまみ読みするということをしていたからだ。
また、同じくつまみ読みだが、最後に収録されている「如是我聞」はこれまで何度読んだか知れない。これを読むのはだいたい、何らかの鬱憤を抱えているときだ。これに記された太宰の怒りのエネルギー。これを読むと元気が湧いてくるような気がする。変だろうか。
随筆集なので個々の感想をそれぞれ書くのは止しておくけれども、思わずハっとさせられたり、頷いたりしてしまうような文句がふんだんに盛り込まれている。それらをいくつか紹介することで感想に代えさせていただきましょう。
健康 なんにもしたくないという無意志の状態は、そのひとが健康だからである。
生きて行く力 いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。
千代紙貼リマゼ、キレイナ小箱、コレ、何スルノ? ナンニモシナイ、コレダケノモノ、キレイデショ?
「芸術とは何ですか。」「すみれの花です。」「つまらない。」「つまらないものです。」
「芸術家とは何ですか。」「豚の鼻です。」「それは、ひどい。」「鼻は、すみれの匂いを知っています。」
「きょうは、少し調子づいているようですね。」「そうです。芸術は、その時の調子で出来ます。」
私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。
ためになる。
それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。
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つづきは本を読んでネ。
太宰なんて読んだこともないワという方は、まずこれから入るのも良いと思います。
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