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blue, blue age
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blue, blue age
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blue, blue age
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クロやい。お前の同腹(推定)は、暑かった今年の夏に逝ったよ。
お前の住んでるとこと一緒の山に埋めてあるんだよ。
わかんねえだろうな。お前も美人だな。
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瀬戸内国際芸術祭
ART SETOUCHI 2010
Oct. 15. Fri. 2010 宇野 - 豊島 - 男木島 - 女木島 - 高松 - 宇野
実は行っておりました、瀬戸内国際芸術祭。
肝心の"現代アート"と云われるものに対するピンと来ない感覚と混雑情報、それらをひっくるめてだいぶ消極的になっていたのですが、こんな近場のアート祭りを Art Univ. 卒の私がスルーしたものかどうか。そこへ友人の美術家 H 氏がフリーパスを持って現れたので、話は決まったのです。
作品群には純粋に興味が湧かなかったので、ルート選択は H 氏にお任せした。そのルートとは上記の通り。ベネッセアート総本山の直島をスルーした H 氏の英断はおそらくこの旅で最もエクセレントであったと思う。混雑回避の観点から。
とても良かった。楽しかったのです。心が笑われ、いや洗われるようでありました。
特に広大な豊島でモーターアシストの自転車を¥1,000 で借りて下り坂を疾走し、大きなカーブの向こうに瀬戸内の海と島々を眺め、バッテリー残量に怯えながら島中を走り回ったのは本当に楽しかった。あんなのはいつ以来だろう。男木島では山の斜面にまとまった集落の細道を上へ上へと、やはり景色が素晴らしかった。写真に写すのがばかばかしいほど良かった(皮肉じゃなくて。解るかな)。女木島はちょっと疲れ始めてよく憶えていないな。ベネッセハウス……杉本博司……の作品にキレかかった。エキサイティングだった。高松では UDON を食べた。UDON の良し悪しなど判らない(ぜんぶ美味しい)私に、先輩の H 氏が讃岐 UDON の秘密を教えてくれた。いりこだし。帰りの船の時間を待ちながら喫茶店で長話をしたのも楽しかったし、宇高のフェリーの内装が昭和のままで、アラウンドサーティーのふたりは旅の疲れから船にまつわる昔話を始めるのだった……。それは根っこを抉るような、甘く、苦い、幼子が初めて触れた世界の大きさとわけのわからなさ。そういうものだ。ブルーベリーのキットカットをもりもりと食べた。忘れないと思う。
島のひとたちはみんな明るくて親切だった。メロンパン買った。やきそば食べた。
つい先日閉幕した瀬戸内国際芸術際ですが、やはりアート作品については私にはいづれもピンと来ませんでした。作品全般から感じられたのは、舞台である島との乖離と安っぽさでした。ただ、私が最初から斜に構えすぎだったかも知れませんし、感性が死んでいる可能性もあります。
作品それ自体についてそれ以上感想はありません。ただ、夏に堪能した犬島もでしたが、瀬戸内の島々は語り尽くせぬほど素晴らしかった。それなのにこんなお祭りがなければ岡山在住の私でも果たして島を訪れたかどうか。そういった意味で、今回の大規模な文化祭(これは皮肉)を瀬戸内の島々で開催したことはとても良かった(これは皮肉じゃない)と思う。
無事とは云えませんでしたが、ついに閉幕。運営の方はもちろん、こえびちゃんたち、島のみなさん、おつかれさまでした。次回に期待します。
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と締めくくりたいところなのですが、島へ行ったことによって、ある作品が生み出されてしまいました。これが作られたことが今回の旅の最大の収穫だったかも知れません。
「おやじの実家が高松でね、むかしよくこのフェリーに乗ったんよ……」
「重油と潮風が一緒になったこの匂いを嗅ぐと、子供の頃に乗ったタンカーや巨大な煙突を思い出すんだ。」
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私の全国制覇の野望を聞きつけて下さった福岡の歌手、中原直子様からのご依頼で、コンサートのプロモーションツールを制作させていただいております。
現在はチラシとチケットができ上がっておりますが、プログラム冊子の制作も進行中です。私も一式お任せいただけるまでになったということですか。フフ
タイトル文字ですが、筆記体をご希望でしたのですが、スクリプトフォントなど持っていなかったので、「じゃあ書くか」と、高校英語で万年赤点だった私が決意して伊太利亜語に挑戦するも、カリグラフィペンなども持っておりませんし技術もありませんので、十年ぶりくらいに烏口を発掘し、その誤用でしのいだのです。結果的に手書きして良かった。
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偶然
クシシュトフ・キェシロフスキー 監督 | 映画 1981年(公開許可は6年後)
Oct. 14. Thu. 2010 鑑賞
あのときああしていれば、と思うことは誰にでもあるだろう。この映画では、主人公がある列車を駅で追いかける場面を分岐に、三つの異なる運命を描いている。列車に乗ることができた場合、駅員と揉み合いになり逮捕された場合、列車に乗ることができなかった場合……
旅の事情にもよるが、列車に乗れるか乗れないかということは人生という大局から見てそれほど重大事ではないように思える。しかしこのように些細な一件で、人生は変わっているのだろう。右足から歩き出すか、左足からかという程度のことでも。
それにしても、3パターンは見事に分岐する。個人的には、それぞれほんの少しだが絶妙な差異が結末に向かって意味を持つようなものをこの映画に期待していた。しかし実際の人の一生は、監督が描いたようにちょっとしたことで大きく変わるものなのかも知れない。それを検証することは誰にもできないが。
ラストはあまりにも唐突で、無機質な運命の変転で締めくくられる。そして同時に、冒頭で主人公が狂ったように叫んでいた理由を知る。しかしやはり人生、運命、世界とは、——ヴォネガットの言葉を借りよう、"そういうものだ。"
あんなに怖い映像は久しぶりに観た。
追記 : 列車に乗れるか乗れないかはただのきっかけで、それによって後に出会う人々が変わることから主人公の運命の転換は生じている。人と人によって鮮やかに残酷に彩られる人生。それが監督の云う"愛"なのかなと思った。
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真夜中のカーボーイ
ジョン・シュレンジャー 監督 | 映画 1969年
Oct. 2. Sat. 2010 鑑賞
アンジェリーナ・ジョリーみたいなあんちゃんだなと思ったら、本当に若かりし日のパパだった。
それは映画には関係なく、カウボーイファッションでニューヨークを彷徨う姿、こういう溶け込めないものを溶かしてしまう街に、目眩のような魅力を感じる。
東京で暮らしていた頃、新宿などをひとりで歩いているときに、人ごみの中で視界の焦点を失い、ざわめきは聴こえているのに感じなくなり、全体に溶けてしまったような感覚に落ちたことが何度もある。そんなときには、溶けているのに孤独な感じがして、むせた。
物語についてどうのこうのというものではないが、疎外感に惹かれてしまう。たぶん私はアメリカン・ニューシネマという一時代の作品が好きなのだと思う。
原題は「Midnight Cowboy」。しかし水野晴郎が、都会的な雰囲気を出すために敢えて邦題を「真夜中のカー(Car : 車)ボーイ」としたそうです。
自動車が都会というのはピンとこないけれども、公開は 40年も昔のことであり、水野さんへの敬意も込めて、題の表記はこれに倣いました。
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杉浦 慶太 展 — 農村の意匠 —
奈義町現代美術館
Sep. 26. Sun. 2010 鑑賞
杉浦さんの写真作品を初めて観たのは今年の春。たまたま手に入れたギャラリー展の DM が良かったので観に行ったところ、ぐっとくる写真だった。今回は美術館での展示で、大きな作品も観ることができた。
「森 -Dark Forest-」という作品についてのコメントが印象に残っている。かなりかいつまむが、“森は怖いところ”——と。
その殆ど真っ黒な板にしか見えないほど暗い、日没後の森を全面に写した写真に対峙したとき、私は動物的な、毛の逆立つような感覚を覚えた。おそらく遺伝子に刷り込まれた暗闇に感じる危険、視界のない不安。安全の保証された美術館で、私は吸い寄せられるように作品に近寄って、間近で観た、葉のざわめき。森にひとり取り残された感じがした。
京都の万華鏡ミュージアムというところで 10月 23日(土)まで、同じ展示をやっているようです。関西圏からこのサイトへアクセスしてしまった奇特な方、ネットを捨てよ、街へ出よう。万華鏡ミュージアムへどうぞ。
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光に透かせるとウラ面の鏡文字印刷が透けてレイアウトが完成する。
名刺を新調しました。
ウラ面の印刷を透過させるアイデアはたくさんの方々に面白がっていただき、また大層小馬鹿にもされましたが、そのあたりを踏まえて少しだけ親切に。必要な情報(名前, URL, E-mail, Tel)はオモテ面に、透過のウラ面はサイト名や英語表記の住所など。
透過なんて読みづらいけど、その非合理と面白さは測りにかけていいと思う。合理一辺倒じゃなくてもね。そういうつもりでクリエイティブをやっている私の名刺なので、ね。
あと、透過のアイデアを説明しなくても、渡したときに気付いてもらえないかと思い、コーヒーの器を加えてみました。ちょっとでもウラが透けていれば、器にコーヒーが注がれているはず。
私用ということは公用もあるのです。それはまたの機会に。
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