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blue, blue age
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むこう[無効]
ききめがないこと。
法律で、当事者の欲した効力が生じないこと。
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長い春休みが終わろうとしていた。学校へ行けば、三年生になっているはずだった。初めて家を出て違う生活を始めた頃の高揚感は既になく、場違いなところへ来てしまった不味さをどうやって誤摩化してしのいでいくかということだけでなんとなく過ごした二年間が終わろうとしていた。
よくわからないままやって来てしまった。台無しにして出直すほどの気概も知恵もなかった。そのまま行くという発想しかできなかった。
碌でもない二年間ではあったが、幸いなことに周囲の人間には恵まれた。最初から熱量を持っていた人たちだ。熱しにくい石も暖まるには充分な時間だったかも知れない。
それは単に暖められたものか、燃え移っての自らの発熱か、はたまた熱暴走であったか。ともかく、春から変えようと思っていたのは確かだった。三年目が始まる。
青の時代 序 オワリ
来週のこの時間からは
「青の時代 破」をお送りします。
特に何も変わりませんがおたのしみに!
サービスサービスゥ!
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悶々としていたので、しこしこ描きました。
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幻化
梅崎 春生 著 | 短編集 1950年 – 1965年
新潮文庫
庭の眺め / 空の下 / 突堤にて / 凡人凡語 / 記憶 / 仮象 / 幻化
Apr. 12 – Sep. 8, 2012 読了
「他の人と何か関係があると思い込む。そこから誤解が始まるんだ」
学生時代のある晩、たまたま観ていた「NHKアーカイブス」で放送された「幻化」の90分ドラマ版がとても衝撃で、当時はダビングしてもらった VHS を狂ったように観たものだ。現在は DVD を手に入れて狂ったように観ている。
もちろん原作にも早いうちに手を伸ばしている。文庫本が欲しかったのだが見つからなかったので、文学全集の一冊を買った。作品が少ないのか、他の作家(椎名麟三だったかな)と一緒に収録されていた。ブックオフで¥105だった。原作もおもしろかったし、NHKのドラマ版が上手いアレンジをしていると判って感動したような気がするような。(漁業通信のくだりがドラマオリジナルだなんて!)
その後、講談社文芸文庫というちょっとお高いやつなら文庫版があると知り、「桜島・日の果て・幻化」を買った。それは今は手許にない。友達の彼女のかわいらしいおねえさんに貸しっぱなしで、でもかわいらしいからいいや。その友達とおねえさんはめでたく結婚したのでいいや。
今回読んだのは、やっぱり文庫本が欲しくなってヤフオクで手に入れた新潮文庫版。昭和 49年の初版で、味わい深い装画に活版の本文がイカしてる。
久しぶりなので頭から通しで読んでみたところ、記憶にない話が多い。全集で全部読んだはずなんだが。
なんとなくこれは読んだようなというものもあれば、全く未知と思えるようなものもあった。そもそも梅崎の小説は似たような設定の話が多く、スターシステムを採用しているかのように共通の造形を持った人物が何人も登場する。
そして「記憶」と題された作品を読むに至って、おれの記憶も相当にあやふやなのだと思い知った。二十代の大半が◯◯浸けだったので致し方ない。全集で全部読んだというのも捏造された記憶かも知れないのだ。東京で大学生活を送ったことも、さっき飲んだミルクコーヒーも、人生も宇宙も全部嘘だったのかも知れない。
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半日悩んだ夜、煙草を買った。半年ぶりだった。
煙草なんて、私は煙を漏らしながらへへへと自嘲したかっただけかも知れない。外に出掛けてみたかっただけかも知れない。昨日の洗濯物のなかに靴下は一組だけだった。実家の猫を病院に連れて行ったときの靴下。母親の他に会話をしたのは、獣医さん、受付のおねえさん、電話、今日、コンビニのおねえさん。
キャスターの 1 ミリ、ください——こちらですか? 私は、はいと言うつもりが声が出ず、黙って頷いた。
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note
7月 1日の未明だったか、大飯原発の再稼働阻止行動のネット中継を観ていた。
おれは原子力発電については否定派だ。仕組みが上手いと思えないのだ。
まずひとつ、リスクが大きすぎること。昨年の福島での大事故とまだまだ先の長いその処理状況、地域の暮らしが理不尽に失われたことを見れば明らかだと思う。そしてそれはハイリターンと測りにかけて良い性質のものだろうか。
次に廃棄物処理の問題。電力会社の言うように事故が非常に稀なものであると仮定したとしても、増え続ける放射性廃棄物はどうするのだろう。地下施設に埋設する案が有力とのことだが、数万年もすれば地面も動くという説を、ちょうど 100年前の 1912年にアルフレッド・ウェゲナーが提唱している。動く地盤の中を万年単位で維持可能な建造物とはどんなものなのだろうか。発祥してまだ数千年の人類文明がそれに数倍する年月を保証できると考えるのは科学ではないと思う。
もうひとつ、通常運転中でさえも作業によっては放射線被曝が避けられない運用。これはシステムの大きな欠陥だと思う。誰かが放射線を浴びながら作ったエネルギーで動く社会とは、夢がない。
否定を表明するには理由が必要と思って書いたが、肯定派の人々がいつも言う“経済”ということについても解らないではない。放射能で土地を追われ死に至る人がいるのと同様に、経済や停電によって土地を追われ死に至る人もいるはずだから。
結局、どちらの方が納得できるかという程度のことなのかも知れない。
大飯原発の再稼働阻止行動をネットで観ていておれが本当にうんざりしたのは、反対派と推進派の中身のない罵り合いと煽動合戦だった。意見を異にする相手を即ち敵と看做して口汚く攻撃をすれば、考えは伝わらない。また、自分たちに都合の良い部分だけを切り取って情報を拡散するような戦術は、不気味としか言いようがない。なんだよ、「おまわりさんも泣いています」って。目元に汗かいただけかも知れないし、ずっとにらみ合いの最前線に立たされてくたびれて泣いてるだけかも知れないじゃないか。
自分に酔って罵り合っている連中というのは結局のところ、意見を理解してもらうとか味方を増やそうとかいう気がないのだ。本当に阿呆だと思った。おかげでおれはちょっと頭がヘンになった。
反対派と推進派は原発に関しては今後も相容れることはないだろう。しかしエネルギー全般ということまで拡げれば「ムダ使いは止そう」程度のところまでは共通認識にできるのではないだろうか。石油だろうがウランだろうが使えば減るのだから、濫用していいはずがないのだ。手許にあるものを大切に使うということが間違っている局面というのはそれほど多くないと思う。
いろいろ便利で忘れがちだが、夏は暑いし、冬は寒いんだよ。たまには外の風に晒されてみれば、それが必ずしも苦痛ばかりではないと解りそうなものだ。
素人なりの考えを述べると、原発の新設は止める、核燃料サイクルも諦める、今ある原発で古いやつや立地的に危険なものは即廃炉、電力会社がツブレない程度に原発をいくつか動かし(電力供給の面と廃炉技術者の育成の面でも必要かと)、きっちり40年期限ですべて廃炉になるまでに頑張って他の発電方法を開発(できればいいが)、その後は残された放射性廃棄物の処分場を巡って各地で武装斗争が 23世紀までつづく……
外国に原発を売るとか、労働者を連れてくるだとか、愚策だと思う。
あとはどれだけ負債を小さくするかというだけで、逆転勝利はもうない。去年の3月に決したと思うのだが。
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