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繁華街に近づくにつれ、なんだかわからなくなった。電話が鳴って、見積もりを出して欲しいと言うので、人ごみの中を行ったり来たりしながら喋った。
どこにでもありそうなチェーンの喫茶店で軽食を食みながら、ノートを開き、硝子の外の街を眺めて、本当になにもないと感じた。どこかで明石焼でも食べて、帰ろうと思った。
バスターミナルに寄って、帰りの時間を見ると、すぐに出る便と、夜中の最終便が残っていた。どこかで耳にした、ルミナリエの初日だという話を思い出し、それを考えただけで夜が恐ろしく、すぐ帰ることにした。明石焼も要らないと思った。
オワリ
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あてもなく歩いていると K重工の大きなビルがいくつも見えた。
たぶんここが本社なのだろうなと思うと同時に、バイクのデザイナーとして K に就職した大学の同期生のことを思い出した。もしかするとこのビルのどこかにいるのかもなと思いながら、行き過ぎた。
地元に戻ってすぐの頃、結婚披露宴の招待状をもらったのに、お金も仕事もなく、人前に出て行けるような気がしなかった。そのときの返信用葉書が今も手許にある。
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なんとなく「海かな」と思って、太陽の位置を参考に南らしき方角へ歩いた。Google MAP なんて未来はこの手にないのだった。
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記録映画を観たあと、商店街の喫茶店で安いホットドックとコーヒーで昼食を採った。用事は済んだので、他にしたいことがあるか考えた。なかった。ぶらぶら歩くことにした。
新開地の町は、ボート券を握ったおっさんが路傍に寝転び、立食い屋がひしめく昭和なスメリータウンでエキサイティングな予感がしたが、歩き出すとすぐに昭和ゾーンを抜けてしまったので拍子抜けした。
(しかし後日、新開地を訪れた友人の話を聞いて、惜しいことをしたと思った。僕は歩き出した方角が悪かったのだ。
わくせいひつじ08番 | 神戸大阪2014)
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世界一美しい本を作る男/How to make a book with Steidl
監督 : ゲレオン・ヴェツェル | ドキュメンタリー 2010年
神戸アートビレッジセンター
Dec. 5, 2013 鑑賞
「立体意匠設計訓練校」の同窓であり「文字や図の並べ換え業」の先輩と対談する機会があり、その際にこの映画をお薦めされた。
僕が日頃取り組んでいる文字や図の並べ換えに関する学習はすべて造本を指向しており、大半を占める造本外の仕事はその応用でしかない。そんなわけで心躍るタイトルであり、岡山で上映されない様子であれば早朝のバスに乗って神戸まで観に行こうというものだった。
シュタイデルという出版社を営むシュタイデルというおじさんがエネルギッシュに世界各地を飛び回り、有名美術家や有名写真家や有名ファッションデザイナーなどを相手にああでもないこうでもないと、なるほど、シュタイデルの手がける本というのは、手間ひま予算をふんだんに使って仕上げていく工芸品のようなアートブックなのだな。クライアントもシュタイデルも双方が全く妥協のない姿勢で作り上げる本が、それは美しくないはずがない。
そういうことよりも——というかそれを実現するための一手段なのだが、僕がとても盛り上がったのは、シュタイデル社という出版社が自前で印刷設備を備えているという点だった。印刷や製本を外注せず、細かい仕上がりまで自らの目と手で整えていく様子が、訓練校時代に夢見た「理想工場」みたいだと思った。
シュタイデルほどのことは難しいかも知れないが、自分が確信した「良し」をイメージから現実にするために、技術を積むのはもちろん、設備を整えたり、パートナーを見つけたり、そんな理想の方向ににじり寄っていけたらと思った。
とにかく業界のはしくれとして元気が出たので、勢いで年末にフォント買ったっけや。
※理想工場
大量生産品はその規模に応じたマスのニーズを満たす必要があり、広範なニーズを汲み取った結果としての中庸化が生じるという考えに基づき、その対置として、自前の工作設備で自分たちが良しとしたものだけを作って、賛同する少数を相手に商売できたらと思った。
ただし深い考えはなく、要するに「自分の好きなように作りてえ」という若者のエゴのむき出し。
「理想工場」という語は、東京通信工業(現SONY)の設立趣意書にある、自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
からの引用。
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三宮に着いてすぐ地下鉄に乗らなければならなかった。知らない土地の地下では多くの路線が入り交じって方角も何も判らない。
「新開地へ行く路線はどこ?」と詰所の駅員に訊ねた。「あっち」みたいなことを教えてもらった。
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シュタイデルの記録映画を観たかったのに、岡山の映画館では演りそうになかったので、神戸まで出掛けることにした。
7:20発の高速バスに乗り、山陽自動車道を東へ。車窓の霧を見て、一眼レフを持ってきて良かったと思った。
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描けと言われれば犬でも描く。
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積乱雲。
微風。
浴衣を着せられた子ども。
ビル掃除の仕事が今日入ったお姉さん。
ミニスカートの自転車乗りで丸見えだった娘。
遠くで揺れる短冊と祭り囃子。
2003年8月10日
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弥生荘東2-2号室改装
8/10 壁や柱などの隙間をパテ埋めで補修。職業訓練校生としては認め難い、先住人によるコーキングのねばねば補修跡もひっぺがして再補修。
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幾重にも重なった雲のレイヤーは、低気圧を追いかけるように、それぞれもの凄い速さで流れている。
2003年8月9日 台風が過ぎたあと
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弥生荘東2-2号室改装
8/9 台風が過ぎたあとにホームセンターでオフホワイトのペンキを注文。
台所周りに貼られていた謎シートを剥がすと、地層学的な汚れが現れたので掃除す。
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弥生荘は専攻の同期生だけでなく、多学科やお隣のZK大など、美術系の学生が多く住んでおり、たまり場としてはすばらしく濃密でおもしろかった。そして、部屋を自由に改造できるという狂った賃貸物件だった。
とはいえ、改造について大家が可否を明言したことはない。薄汚れた繊維壁を勝手に白ペンキで塗りつぶした人がいて、ある日大家がその部屋を訪れた際、何も言わなかったという話が「弥生荘は改造自由」という認識として広まった。
以後、他の美術系住人も皆好き好きに壁を塗り、棚を据え付けた。
入居に際して、僕ももちろん壁を塗るつもりだった。
コンセプトは病院。純度の高いオフホワイトで、壁の境目が判らなくなるほど真っ白にしたいと思った。
ペンキが壁に染込まないよう、最初はシーリング材を塗る。こうしたノウハウは、前述の勝手に壁を塗ったパイオニアの I さんに教わった。
展示の支度に係っていた僕に代わって、序盤の下地塗りはほとんど I さんや他の弥生人たちが仕上げてくれた。
ペンキ汚れを防ぐため、畳は一旦すべてひっぺがしておく。中央のブルーシートを被せてあるのがそれ。
青い作業服が I 氏。
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2年生の夏に入居した橋本4丁目のアパートの契約更新が迫るタイミングで、5丁目に空部屋が出た。そこは町田に住んでいた頃、下校の度に立寄った弥生荘の一室だった。
引越してしまうことにした。制動装置の機能低下。
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病人は休んでいるべきだったのに、何かをしなければならないような焦燥感もまた病人であり、例えば海へキャンプに行ったり、所属の専攻が出展するイベントの手伝いなどに志願したりするのだった。いずれも4年目にして初めての積極性であり、正体は処方薬物による制動装置の機能低下だったと思う。
8月の頭にミーティングがてら、「建もの探訪」で渡辺篤史も褒めた、担当教授の真っ白できれいな新居の建物探訪会があった。展示係の役割としては完全なおミソであったはずだが、美味しいものを食べさせてもらったり、世田谷の落ち着いた住宅街を散歩するのは楽しかった。写真は、駒沢のオリンピック公園。
1年生の頃、教授のベンツを角材でボコボコに潰したのはいけなかったと反省した。
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海鮮丼を食べに行こうと江ノ島へ行った日。I氏は自作のエヴァンゲリオンTシャツでキマッてた。
2003年7月21日。
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ザ・トライブ/the tribe
監督 : ミロスラヴ・スラボシュピツキー | 映画 2014年
June 15, 2015 鑑賞
この映画の言語は手話である。字幕も吹き替えも存在しない
聾唖者の寄宿学校を舞台に、フィジカルなコミュニケーションを介して物語は進行する。それは手話であったり、眼差しであったり、暴力であったりする。
ナレーションやテロップによる註釈は一切ない。映像にも説明的なカットは用いられず、非人間的な視点移動による長回しで構成されている。手話(しかもウクライナの)を解さぬ者としては、できるだけ溢さず汲み取ろうと観察に集中し、結果としてダイレクトにダメージを受けた。
観て判るものだろうかという心配は、まったく無用だった。直接理解できる言葉がなくても、手話の抑揚や仕草を見ていれば感情も伝わるし、少年たち個々の性格まで掴むことができた。年齢相応のやんちゃさを通り越した悪行を行うやつらばかりだが、年齢相応の無邪気さも垣間見えた。
体を売りながら女の子たちはイタリア行きを楽しみにしていたし、グループを暴力で統率するリーダーは彼女たちにはまるで良き先輩のようであった。主人公は、好きになった女の子をただ自分のものにしたかった。それは透明感があった。
BGMもなく、雪を踏みしめる足音や手話の衣擦れだけが聴こえる。感情を煽らない淡々とした描写がかえって痛々しくショッキングで、鑑賞後は黙るしかない結末なのに、少年のピュアな暴発に謎の元気が出た。
聾唖の人も、その他障碍のある人とも直接接したことはあまりないが、なんとなく、障碍者は日頃から苦労をしているからみんな我慢強くて謙虚なのだろうなどと思ってしまう。ちゃんと考えればそれが偏見であることは判るのに、やはり咄嗟にはそんな印象を持って、余所行きの親切心を発揮することがあるような気がする。
聾唖の登場人物たちがみんな基本的に低モラルで、躊躇もなく悪行を繰り返す様子は衝撃的だった。そして自分が受けた衝撃に、やはり偏見が潜んでいるのだと再認識した。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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