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ゼロの未来/The Zero Theorem
監督 : テリー・ギリアム | 映画 2013年
シネマ・クレール
Aug. 3, 2015 鑑賞
Everything is under control
「未来世紀ブラジル」の人だ、と思って観に行ったらこれも「ブラジル」だった。
要所で寝落ちしたりもう忘れてしまったりで肝心の「ゼロの未来」の正体をよく理解できておらず、ハッピーエンドなのかアンハッピーエンドなのかすら判らなかったのだが、85年の「ブラジル」では国家による全体主義や統制への抗議を感じたのに対し、30年後の本作ではグローバル企業や商業主義に対する危機感やアイロニーを感じた。生活のすべてに隙間なく広告が介入し、生活はすべて「購入」であり、購入データ=生活はグローバル企業にすべて握られている。
登場人物たちは皆、現代の感覚からすれば派手で機能的とも思えない珍奇な恰好をしているが、それは「未来(の価値観の変化)」を描写するための小道具ではなく、現在からの流れの延長線として、広告すなわち企業からのご提案を鵜呑みにし続けた果ての姿のように感じた。主人公のQやボブは最初から21世紀風のふつうの恰好をしている。企業から追放された人々もそれ以後は同様のカジュアルな服装になる。
皆、切り捨てられたことを告げに不安で寂しげな表情で現れるが、消費のサイクルから脱して自由になれたのではないだろうか。ふつうの服装の方が似合っているのだ。
広告は今でも存分に溢れて消費を煽っているし、金融の話などになるとさらに不可思議で、一個人的な感覚では理解を超える。
過去の歴史のように、いずれはこの資本主義経済時代が、「みんなでおかしなことをしてたんだなあ」と思われる時が来ると思う。それまでに地面を掘り尽くさなければ良いと思いますが。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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つい先日、森本美由紀さんの回顧展を訪れ、びしゃびしゃと分泌した。街行く人で再現を試みたが、特徴的な線の省略や抜け具合を再現できなかった。付け焼き刃ではこんなもの。
森本さんのイラストはとてもおしゃれで、特に墨筆を使い始めてからのものは水を得た魚のようだった。
それでいながら、原画を観て最も感動したのは、おびただしいホワイト修正の跡。他にも誰かの依頼で描いた似顔絵だろうか、その脇には「似てないかも、本番ではもっと似せます……」みたいなことも書き込んであり、勝手にヒューマンな親しみを感じた。
そこまで再現しようと思ったわけではないが、ALL STAR の☆印を左右間違えたりなんだりでめちゃめちゃホワイト入れてしまった。
他にもノートにちまちまラクガキをしたり、ヴィヴィアン・マイヤーの影響で写真を撮る量が増えたり、良いものに触れると、自分も何かしたくなる。最近いいサイクルだなと思う。
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ショーウィンドウに映り込んだ幽霊。こいつもいつも真っ黒。
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アルバムでちゃんと聴いてみたくて、くるりのメジャー最初の3枚を借りてきた。帰宅して、とりあえずファーストから回して部屋の掃除を始めた。
昨日から急に暖かくなり、荒天ながら春を感じていた。「東京」が流れると、昨日話をした人も東京帰りの美術系で、あっちの暮らしとかこっちの仕事とかそんな話をしたなと思った。ふと気付いて計算をしてみると、やはり、東京を出てからちょうど10年が経っていた。2006年の2月いっぱいで取壊しのアパートを引払って、戻ってきたあのときの岡山も、ぬるい春の空気がぼんやりと充満していた。
“あい変わらずわけの解らないこと言ってます”というのは頷くしかなくて、苦笑い。それに僕は、自分が情けなくて、東京の街から出てきてしまいました。すぐに戻るつもりで、そう約束もしたし、実家に住処がなく充てがわれた六畳一間は仮住まいだと思って、必需品の他は梱包を解かなかった。10年暮らしているその部屋はもうだいぶお気に入りで、解いた荷物はきれいに配置されているし、いろいろ物が増えていく。
18で上京したときは、ただ新しい生活への緊張感で晴れ晴れしていた。故郷への思いは何もなかった。そこへ戻ってしまった。10年も経ってしまった。
“恥ずかしい事ないように見えますか”?
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2016年を迎えている。今年の秋に実施される火星への有人探査飛行へ向けて、多くを犠牲にして取り組んできた若い季節もあったが、いざこうしてその年を迎えてみれば、なんてことはない。僕は過ぎた時間だけ歳を重ね、例年と変わらぬ季節が一巡りしてきただけだった。もちろん、探査に選抜された仲間たちにとっては興奮と不安の、生涯忘れ難い2年間の始まりとなるだろう。
僕が調査員の候補として不適格とされたのはもう何年も前のことで、ヒューストンの訓練所の荷物をまとめて帰国して以降は、地元で養殖を営み、米国どころか遠出の旅行もしていない。そういうものだ。
「もう火星に行くつもりはないの?」
つい先日、組合の席でそう問われた。年度末を控えて若い後輩たちが、火星や月を目指して続々と米国やロシアへ旅立っていた。
僕は何か適当な理由を添えて、もうあまり気乗りがしないのだと答えた。
気乗りがしないのは本当だった。ただそれはどうしてだったろう。長いこと、火星について考えることがなかった。いつからだろう——
そう、あれからだ。あの、火星から届いた報告。火星にはもう、僕が探し求めていたものがないのだと、遅すぎたと判ってしまったのだ。
カプリコン計画が成功すれば、後継の探査が2020年に実施される。そこではさらに詳細な調査が行われ、輝かしい成果が、変えようもない事実として残酷に伝えられるだろう。
僕は生簀の泡を見つめながら、それをやり過ごすのだろうか。
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blue, blue age
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blue, blue age
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窓も玄関も開け放して、心地の良い風が吹き抜けていきます。
たまには虫も入ってきます。
蚊に刺された部分が痒いです。
ベランダに腰掛けて
お茶を飲みながら
買い溜めた文庫の本を読む。
そんな毎日が楽しみです。
2003年9月3日
8月まで関わっていた研究室の手伝いなども終わって、流し台の自炊環境が整ったところで、僕の弥生荘での生活が始まったと云えるかも知れない。
訪問客として入り浸ること3年、ついに東2-2号室で住人となった。
病による休学中で苦しい時期だったはずだけど、ここで暮らした一年は大袈裟ながら、僕にとっての「黄金時代」と呼べるものだ。
キスミントの束は、処方薬の副作用でいつも口が渇いていたため。
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引越しの時期のことか定かではないが、判断力が曖昧な状態でいろいろなものを棄てた。自作を手放すことができない質なのに、2年生までの課題制作をほとんど棄ててしまった。高校時代の高跳び用のスパイクシューズも、棄てた憶えがないのに手元にないので、おそらく棄てたのだろう。
急に決めた引越しではあったが、一応2年契約ぴったりのタイミングで退去できた。4丁目のアパートの大家さんは親切なおばあちゃんで、外出中に飛んだ洗濯物や雨ざらしの布団などをよく避難させてくれた。
「しばらく静かだったから、居ないのかと思ってた。元気でがんばりなさい」、みたいなことを言ってくれた。
大家宅と棟つづきのアパートだったけど、いつだったか見たストリートビューで、ふつうの住宅に建て代わっていた。
荷物を4丁目から5丁目へ、専攻同期のSさんの小さなバンで2往復ほどで済んだ。それでも弥生荘の住人のうちでは持ち物が多い方だったと思う。
ノロノロと一日かけて荷物を整理し……
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9月になって、保留していた流し台の整備に着手。
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4丁目から5丁目への引越しを翌日に控え、部屋の掃除のために新居を訪れると、他人に占拠されていた。
同じ東棟の2-4号室に暮らしていたAちゃんの課題制作チームが、会議用に目聡く見つけたホワイトキューブに侵り込んでいた。頼もしい後輩ちゃんたち……
予想外のおもしろ状況だったので使ってくれても良かったのだけど、住居不法侵入が気まずかったのか、この後すみやかにいずこかへ撤収してしまった。
休学をしたため彼らとは翌年に同級生となり、仲良くしてもらいながら一緒に卒業したのだった。
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畳をはめ戻したら、僕のホワイトキューブ。
終日音楽を流してくれたラジカセもおつかれさん。手伝ってくれてた Iさんと一緒にミスチル歌いながらペンキ塗ってて下階の塾講師のおっさんに怒られたのもステキな思い出。
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弥生荘東2-2号室改装
8/15 長い闘いもついに終戦記念日。
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弥生荘勝手に改装のパイオニアIさん(ダクト)の東2-1号室に、東2-4のAちゃん(ダクト)、西2-3のKきょん(ZK大)、専攻の後輩ちゃん(ダクト)、そして撮影者の東2-2入居予定者(ダクト)がたむろしている。
東2-1号室は毎日こんな様子で誰かがいて楽しかった。
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弥生荘東2-2号室改装
8/13 オフホワイトのペンキを一斗缶で3–4缶。記録によると、下地のシーラーに¥9,463、ペンキに¥44,134を支出している。
全体的に白くなってきたが、まだ白さが足りない。隅の塗り残しもある。距離感を喪失するまではまだ遠い。
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“たのしい、たのしい”と、どこから来たのか解らない笑みを浮かべながら隣席のセンセイが次々と注ぐ焼酎を平らげる。焼酎の初体験。
斯くして、素敵なお店の素敵なお酒と素敵な料理は、二子玉のこれまたぴかぴか素敵なデパートのトイレでAUTOされました。
またひとつふたつ、迷惑をかけて学習。
2003年8月12日
この日、専攻同期有志による制作発表会が東芝科学館で開催され、精神薄弱の人寂しさからその見学に行き、何もしていないのに教授連に連れられて二子玉のハイなお店で打上参加。隣席の先生が注いでくださる焼酎はとても飲みやすく、「お前いけるクチだな」と「ハイ」で、わんこ焼酎。帰りの歩行で脳を揺さぶられて二子玉川駅のデパートのトイレでおいしかったもの全部廃棄。
八王子住まいの専攻同期のアイドルの1コ上のおねえさんのCちゃんに橋本まで面倒みてもらう感じで田園都市線を進むが、再び脳を揺さぶられエムノロ(溝の口)で下車。トイレでしばらくAUTOし、ホームに戻るとCちゃんはいなくなっていたので帰ったのだろうと思ってひとりでしばらく休んでいると、Cちゃんは僕がトイレから戻らないと思って駅員さんと探していたらしい。聖人。女神。
ホームで震えているうちに終電が終わったらしく、結局、Cちゃんとおつき合いしていた専攻同期の1コ上のおにいさんのBっち(純粋都民)のお車で送っていただき、車内で3人何を話したかどうしたか全く憶えていない。
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blue, blue age
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目黒まで出かけ、帰ってきた其の脚で新居に向かい、作業着に着替えて部屋を白く塗って深夜の帰宅。
2003年8月11日
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弥生荘東2-2号室改装
8/11 下地塗りが終わり、ようやく白ペンキの1次塗りに入った。透明のシーラーとちがって塗れば壁が白くなるので盛り上がる。最初は。
まだ土壁の色が透けてムラがある。二度三度四度と、本当に白くなるまで塗り重ねる。
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恐怖分子
監督 : エドワード・ヤン | 映画 1986年
シネマ・クレール
Nov. 30, 2015 鑑賞
尾道の映画館で良い感じのフライヤーを拾い、岡山にも来ないかなと思っていたら来た。’80年代の台湾映画とのことで、きっと僕の育った昭和の日本に似たような風景が、フィルム撮りで観られるだろうと思った。タイトルロールのカドのぼやけた写真植字だけで、繁体字なのに懐かしい感じがした。
冒頭の街の景色はまさに期待どおりの昭和の都市だった。栄えているけど殺伐とした、他人同士が集っただけのような空気が充満していた。夜明けの通りを急いでいたパトカーからは、ティアドロップのサングラスをかけた不細工な大門警部が登場し、僕は降参した。
昭和の昔に限らず、現代の都市というものは何らかの限界すれすれにあるように感じる。すれすれからはいつも何かがこぼれ落ちている。
都市にそれぞれ点々と、関わりなく暮らしていた普通の範疇の人々が、僅かに生じた接点から少しずつ歯車がずれて、こぼれていく様子が淡々と描写される。際立って特異な人物も事象もない。故にそれぞれの焦燥や苦しみに想像が至る。
いろいろグッとくる場面があったような気がするが、ベストは、冴えない旦那さんが、家を出て行く奥さんがまとめていたパンパンに膨れたスーツケースを、黙って締めてあげるところ。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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月曜日の19時半ころ。カフェで肉パンとコーヒーと、リトルプレスの詩集を読みながら、映画の開演を待っていた。
路地奥の
喫茶店での出来事だった
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溜め込んだシャツの山から一枚ずつアイロンをかけていくうちに、懸案のパンかびシャツが最後に残った。
パンかびのシャツは、学生時代のごく初期に買ったものだから、十五年ほど経つだろうか。やわらかい白地とカラフルな水玉模様が、食パンのかびのように見えるのでそう呼んでいた。襟も袖も形が悪かったが、珍奇な柄はジャケットに映えた。
アイロンのかかった新しい花柄のシャツはきれいだった。
まだ丸まったままのパンかびシャツを裏返して、脇を少し詰めていた糸を解いて、引退させた。
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FOUJITA
監督 : 小栗 康平 | 映画 2015年
シネマ・クレール
Jan. 20, 2016 鑑賞
美術界隈の端くれとして観に行ったものの、よくわからず、おもしろく感じられず。
おそらく意図的なものと思うが、説明的な台詞の芝居がかった喋りや、セットやカメラワークなど映像全般もすべて作り物であることが隠されず、まるでNHKの歴史ドキュメントの再現映像みたいだなと感じられ、最後まで入り込めなかった。
映像の端々に藤田作品のモチーフになったであろうオブジェクトやエピソードなどが散りばめられている様子が判り、それも説明的でわざとらしく、いやだった。
ただもしかすると、藤田嗣治について詳しく知悉していれば、そうした仕掛けの数々が「元ネタ」といった表層事象ではなく、深い底流でリンクして彼の人生を描き出すのかも知れないと思った。僕は、映像以上のことがわからなかった。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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ヴィヴィアン・マイヤーのドキュメンタリ映画を観てから写真への熱が再加熱し、それでもほんのり温かいといった程度だが、いつもの見飽きたつまらない街で久しぶりにカメラを持ち歩いたりしている。つまらないかなと思って止めることを止めて、とりあえずシャッターを切ってみる。
現像後の仕上がりを見たらやはりつまらないのだろうけど、シャッターを切るのは愉しいものだと、思い出したような感じがする。何枚撮ってもどうせハーフカメラだ。
使っているのはソビエト連邦製のチャイカ2というもので、それに今年の頭から36枚撮りのトライエックスを詰めている。
最近のある日ふと気付いた。ソ連製のカメラに、米国製のフィルムを込めて21世紀を撮る。米ソ友好親善が、僕の掌の内で展開している。
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今年もカレンダーを作りました。
全国のセブンイレブンのコピー機やその他から¥20でプリントできましたがもう終わりました。
PDFファイルも用意しています。安心無料でご自由にダウンロードしてください。
PDF FILE: 2016 calendar
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新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
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……今日も遅くに起きた。昭和90年の町並みを探して2時間ほど近所を歩きまわった。帰宅してから掃除をして、コーヒーをいれると、頭痛は治った。美術館へ行く気は、もう全然なかった。
ラジオでハナレグミの「エイリアンズ」が流れていた。楽しいと悲しいは同居できる。していた。
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神々のたそがれ/Hard to be a God
監督 : アレクセイ・ゲルマン | 映画 2013年
シネマ尾道
July 18, 2015 鑑賞
中世ヨーロッパの不潔さってたぶんこんな感じだったのだろうなという映像がてんこ盛り3時間弱。全編モノクロというのは、昔話の寓話風にも見えたし、汚物の判別がつかない配慮のようにも感じた。
この惑星なのか都市なのか、いつもじめじめ雨だか泥だか糞だかズルズル、人はあちこち吊られているし、その肉腐ってねえか?もらった飲み物はとりあえず吐く! 漫☆画太郎画伯の世界!
異星の都市アルカナルでは権力者による知識人の殺戮や焚書が進められている。実際の人類史でも珍しくないことかと思うが、つい最近でもいくつか思い当たる。文化大革命とかポル・ポト、イスラム国やタリバーンの文化財破壊など。ナチスの退廃芸術批判とか、広い意味では「あれは不謹慎」とかいうのも同じベクトルだと僕は感じるのだが、とにかく汚い都市と野蛮な原住民の様子は、文化と学問を抑圧した果ての姿を描写しているようだ。
文明の進んだ地球からやってきたルマータ(一応中世よりも進んでいるはずの我々観客も)から見れば、知識や文化を奪われて迷信に凝り固まったような原住民たちには全く理屈や倫理が通じない。理不尽な暴力が横行する様を見て、ルマータは権力者の打倒を決意するが、結局それは皆殺しの暴力によって成された。超越者として辛抱することも、解決することもできず、実は原住民たちとそれほどの違いはなかった。
原題というか英題「Hard to be a God」、神様になるのはつらい。人間の根本のどうしようもなさはなかなか進歩しないということなら、神を演じなければならなかった人間はつらいし、本物の神様もつらいことだろう。
それでも異星に残留して統治を続けたルマータが笛吹く音楽は、後退したあとの再出発の一歩かと思う。不評だったけど。
カメラの存在感が気になった。
登場人物たちの視線を受けるだけでなく、「じゃまだ、どけ」とまで言われるこのカメラの視点はどういう設定なのだろう。地球からルマータと一緒に来た記録係のようなものかと思ったが、それだと苦境のルマータに対して冷淡。
やはりこれも神だろうか。観客を現地に引きずり込めば、超越した視点は神そのものだし、それでいて傍観者に徹しなければならない立場で、“Hard to be a God”。
がんばって書いたけど、実はよく解らなかったの。
腑に落ちる感覚がほとんどなく、3時間も座った映画館から出て帰りの終列車を待ちながら、大変孤独な気分だった。
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