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Globe, No. 131, 堀越 千秋年老いたガウディは、市電にひかれて死んだ時、ホームレスに間違われたほどみすぼらしかったそうだ。
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詞に追いつく。
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——人間が薬品の副作用とか心の重荷などによってひとたび脳神経の秩序をこわしてしまうと、彼は夏の太陽のごとき強烈なものからしきりに逃避しようとする。同時に彼は、凋落に近い花の芳香のごとき繊弱なものをも拒むようになる。
幸田当八氏の学説より Apr. 15, Tue., 2014
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前のポケットはあった方が便利だと思った。
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世界史(上・下)
著 : W. H. マクニール | 専門書 1999年改訂第四版(1963年初版)
中公文庫
鑑賞 : July 31, 2015–Jan. 6, Jan. 7–Mar. 11, 2016
このような集団作業は、どんな個人も矮小にしてしまう。それは、近代文明の全構造の縮図である
ニューヨーク、マンハッタン中央部の写真図版に添えられたテキストより
新聞の書評を見て2012年に買ってきてから3年放置していた本書を読み始めるにあたっては、「どうして今、こんなことになってしまっているのか」という興味が強くなったことがある。もちろん、現在のことなのだから、直接的なラインを遡れば解ることが大半なのだと思うが、その遡ったポイントにもさらに原因があるわけで、せっかくなので大きな流れを把握しておこうと思った。
歴史は高1で世界史を履修したのが最後で、しかも憶える気が全くなかった。原因と結果に意味があるのであって、暦年を暗記することに興味が向かなかった。
その点、本書では、細かい暦年も一応記載されているが、文章の軸では大きな流れを常に失わない。歴史上の有名人たちについても、もちろん登場はするが、個々の事績が簡潔に、しかも流れの中にほぼ埋め込まれたようなかたちでさらりと描写され、いつの間にか退場、世代交代している。おかげで流れに対する意識が途切れないばかりか、大きな人物でさえも、当時の地域や文化に内包されたごく一端であるという意識が働く。
訳者あとがきによると、著者マクニール博士は、世界の歴史を文明同士の衝突、均衡、融合という観点で著述したという。確かに、読んでいて感じていたのは、ぼわぼわとしたグレーゾーンを抱えながら、ある文明や思想が拡張したり衰退したりする様子だった。
全世界史をカバーする必要のためもあると思うが、良い意味で大雑把な感じで、特に僕のようなにわか者には有難い。知りたかったのはそういうことだ。
個別で興味深かった点をいくつか。
【ギリシャの都市国家とインドのカースト】
古代ギリシャの都市国家では豊かで自由な共同体を維持するために民主的なプロセスによる全体主義的な団結を求められて、輝かしい諸々の成果が徐々に硬直的になったのに対し、インダス地方では方々から流入してくる異民族同士が、優劣による主従となりつつも内部干渉や同化を徹底的に避けることで民族固有の文化伝統を守ることができ、新参者に対してもある意味での許容性(関わらない限り無視)を持った。
外部観察から得られる自然科学や哲学の発達と、内面に起こる神秘主義思想の発生も対比する。
【宗教改革と自然科学発展】
欧州の16世紀から17世紀にかけて、カトリックとプロテスタントが争った宗教改革と、急発展した自然科学・哲学と宗教思想の対立という、同時期2軸の激しい争いは、互いの論理を強化しきった結果、どの立場も相手の理屈を完全に屈服させることができないと悟り、“意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した”。
現在では当たり前のように思うが、それまでは宗教でも科学でも唯一無二の真理が存在し、それをもってすべての思想を上書きできると信じられていたらしい。
【戦争の形式化】
18世紀欧州において、戦争の悲惨への対処として外交交渉や戦時協定などが発達した結果、フォント・ノアの戦いでは敵対するイギリスとフランスの指揮官たちが、先に発砲する権利を礼儀正しく譲り合う事態が生じた。
【塹壕戦以降の経済含む現代まで】
人間がシステマティックに大量動員され、莫大な成果を挙げる一方で無駄遣いされていく虚無。
銀河の歴史が、また1ページ……
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ベランダで、アパートの誰かからもらった線香花火を散したり、煙草を喫んだり。
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この頃、YMOをよく聴いていたと思う。21世紀になったばかりの知らない街の景色が車窓を流れて行くと、新しいような懐かしいような、あのサウンドに合っているような気がした。あの頃の未来に生きている気がした。「以心電信」の予告編と、「CUE」が好きだった。
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どうして下溝にいたのだろう。
春に、自分の異常を自覚した日、学校からすぐ帰って電話帳をめくって病院を探した。予約なしですぐに診てくれればどこでも良かった。電話がつながったのは原当麻の医院で、それ以来、水平維持薬剤をもらいに1週か2週おきに橋本から相模線で4駅の距離を通った。
橋本、南橋本、上溝、番田、原当麻。次が、下溝。
水平剤のためか四六時中ぼんやりしていたので、寝過ごしたのだろう。
別の日には、相模線で茅ヶ崎まで行ってみたが降りる気になれずそのまま橋本まで戻ってその通り申告して往復料金を支払った。気付いたら山手線を2周していたこともあった。
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左手は、添えるだけ。
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サンローラン/SAINT LAURENT
監督 : ベルトラン・ボネロ | 映画 2014年
シネマ・クレール
鑑賞 : Jan. 25, 2016
一昨年に「イヴ・サンローラン」を観たので、別物と理解はしつつ、YSLのファンというでもないのでこっちは見送ろうかと思っていたが、身近な筋からの好評が耳に入ったので観てみた。観て良かったと思う。
どうしても「イヴ」の方との比較になるが、あちらが青年期からの時系列で語られるのに対して、こちらは1970年のコレクション近辺を軸に、時系列も切貼りした演出的な構成になっている。映像はどちらもとてもスタイリッシュで、ただのヴィジュアル動画として観てもたぶん愉しめそう。
映像についてもこちらの方がより演出的で、ラストのコレクションのシーンはどこを見ればと目が泳ぐものの、ファッションショーの体験、ランウェイの華やかさというのはあんな感じなのかなとも思った。僕は、フォーカス外で背景に溶けているのに圧倒的に存在するサンローラン氏の心配そうな姿に視点を吸われた。
2作の優劣は僕の中ではないし、矛盾や対立した点もなかったように思う。もし興味があれば両方を観ることで、お互いを補完してすばらしい体験になるように思う。
シネマ・クレール | cinemaclair.co.jp
岡山市北区丸の内
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桜の開花した川沿いを歩いていると、水辺で戯れる少女たちがいて妖精の如しであった。
ふいに、「おーい!」と呼ぶ声がし、見ると対岸に腰をかけた三人の男子中学生らしきが手を振っていた。少女たちもそれに気付いて手を振りながら「おーい!」と返した。
程なくして、「なんさいー!?」と対岸から返ってきたので、思わず顔がニヤついた。少女のひとりが「じゅういっさーい!」と返したので、少しおどろいた。中学生くらいかと思った。
対岸のナンパ男子たちも、予想外の幼さに戸惑ったのかもしれない。彼らからの返事がないまま、同じ少女が「なんさいですかー!?」と叫ぶのを後ろに聴きながら、男の子たちにも女の子たちにも萌えた。春だった。
Mar. 29, Sat.
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リアリティのないことが唯一の救いという夢を観た。
ずっとディフェンス、死ぬまでディフェンス。
粉々に砕けてしまえば、変幻自在でどんな打撃も効かないのだと判った。
それがうどんだ。
Mar. 26, Wed., 2014, A.M.
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